2011年9月23日金曜日

英語圏ブログ紹介④

先日「今日注文した本」で紹介した
Larry W. Hurtado, Lord Jesus Christ: Devotion to Jesus in Earliest Christianity.
を読み始めている。
 
他の数冊も序文、目次、導入などに目を通したがどうやらこの本が今一番読みたい感じなのである。実際20数ページまで読み進んだ。
 
ところでアカデミックな世界では有名でも一般には知られていない学者は結構いる。
今まではそれが普通だった。
しかしネット世界の登場で、そしてブログが活用されるようになって、学者たちは自分から一般に向けて積極的に学会での議論や最近の研究動向などを発信するようになった。
特に30代から50代の若手から中堅にかけての学者たちがブログを有効に活用している。
 
「英語圏ブログ紹介」はそのような方々のブログを主に紹介している。
 
ところでラリー・フルタドは今年68になる。ちょうどエジンバラ大学を定年退職した方だが、この年齢の方にしては珍しく最近(2010年7月)ブログを始められた方だ。
 
で、そのブログだが、その名の通りLarry Hurtad's Blog と言う何の変哲もない名称である。
ブログ内容は主に彼の研究に関連するもので個人的な事柄のようなものは殆んどない。
だからコメントも真面目に研究に関すること、と注意書きしている。
 
ブログが開設された当初、若手の研究家たちは大いにこれを歓迎し、彼のような実績のある学者がブログ界に登場することを称えた。
確かにそうだ。自分の研究過程にあることや今までの研究実績から若手の研究者たちや一般の読者たちを励ましたり、鼓舞したり、少し苦言を呈したりするような存在は貴重だと思う。
フルタド教授の主要研究対象はイエスが初代教会においてどのように礼拝対象となって行ったのか、を歴史的に究明することである。
 
最新のブログ・エントリーでは、
Karl-Heinrich Ostmeyer, Kommunikation mitt Gott und Christus: Sprache und Theologie des Gebetes im Neuen Testament, WUNT, 197 (Tübingen: Mohr Siebeck, 2006). 
と言う「神」「キリスト」に対する祈り(呼びかけや会話)の研究書を紹介している。ちょっと引用してみよう。(英訳はフルタド教授によるもの) 
“Praise of God unconnected to the confession of Christ as the Lord is for Paul unthinkable” (p. 87). 
キリストを主と告白することと関連なく神への賛美をすることはパウロには考えられない。
“It is indisputable that Paul was familiar with communication with [the risen] Jesus.  . . . . [For Paul] The relationship of people to God differs from the relationship to Jesus; the manner of communication of Christians with both is not exchangeable” (98). 
パウロが復活の主とコミュニケーションを持つことが珍しいものでないことは論を待たない。 パウロにとって、人々と神との関係、そしてイエスとの関係は異なるものである。キリスト者と両者とのコミュニケーションの持ち方も同様混同されていない。
“God and Christ are not addressed in the same way.  God alone is addressed in thanks and worship.  Christ is the one through whose saving work is opened the possibility of thanks to and worship of God” (115).
神に対する呼びかけ方とキリストに対する呼びかけ方は同一ではない。神だけが感謝と礼拝の対象として呼びかけられている。キリストはこのような神への感謝と賛美を可能にした救済者なるお方である。
新約学や初代キリスト教史に関し、少し専門的な関心のある方にはお勧めのブログである。

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