2014年6月22日日曜日

(5)亡命知識人

この話題は宗教と社会 小ロキアム@巣鴨に書いた方がいいのかもしれないが・・・。

話題にするのは
①フランクフルト学派
②ポール・ティーリッヒ
③ハンナ・アーレント

順番から言うとポール・ティーリッヒが最初だが、と言うのもアズベリー神学校やプリンストン神学校にいた時はティーリッヒは殆ど読んでいなかった。

Graduate Theological Unionに来てポール・ティーリッヒに関心を持つようになったのは、ロバート・ベラーが彼から影響を受けている、と聞いたことがあるからかもしれない。

しかし宗教社会学の古典の一人である「マックス・ヴェーバー」を読み出してまもなく、「フランクフルト学派」について知るようになり、特にMartin Jay, The Dialectical Imagination: A History of Frankfurt School and the Institute of Social Research, 1923-1950で関心を持つようになった。

そこで確かポール・ティーリッヒに言及があり、「あれっ、神学者のティーリッヒとフランクフルト学派に何かしら繋がりがあるんだ」と記憶に留めたものの、その後その繋がりについては何も調べることはなかった。

そうしたら日本語で「ティーリッヒとフランクフルト学派


と言うそのものずばりの本が出ているではないか。

ネットで調べると、深井智朗という最近よく耳にする神学者によるものらしい(でも「監修」とある)、と言うことがわかった。

で、図書館から借りて読んでみたのだが、一応少し分かったので重宝した。

そうしたら今度は「ティーリッヒとアレント繋がり」があると言うではないか。

と言うことで、これまた先日図書館から借りてきて読んだ。

悩める神学者ティーリッヒと、それを個人的によく知るハンナ・アーレントの取り合わせは「へー、そうなんだ」である。

筆者が現在出席する某神学者の読書会でも、著作となる神学書の内容と著者の人生における道徳問題とを、どのように斟酌するかと言う課題が読者側に求められるので、ティーリッヒにおいても同様関心を持った。

著者の深井は以下のようなコメントを残している。
 この二つのティリッヒ像[筆者注、精神分析と神学を結び付けた著作家像と、性的倒錯傾向者像]のどちらかに過度に傾くティリッヒ理解はいずれも誤りであろう。両者の統合がティリッヒだからである。それゆえに、今後もしまだ誰もなしえていないティリッヒの思想を総合的に、また全体的に解釈するという難行を誰かがなしうるとすれば、それは具体的には、この思想家自身の統合や体系化への熱情を上回る情熱をもって思想と生活とを統合的に結び付けたティリッヒ像を提示する、ということであるに違いない。
 実はハンナ・アーレントはそういうティリッヒを比較的若い頃から晩年にいたるまで、ひとりの人間として受け入れ、交際することができた数少ない友人のひとりであり、これまであまり注目されてこなかったが、ティリッヒにおける思想と生涯とのけっして引き裂くことのできないあの結びつきを知っている重要な証人のひとりなのである。(147ページ)
さて「思想と生活」「思想と生涯」と言うような『結び付き』は、その神学者なり思想家が「自伝的言及」を著作に入れるか、彼らの伝記作家が然るべく著作と背景とを照合して全体像を提示する仕事であり、特に「あの結び付き」とクローズアップして「思想史専門家」の「情熱的仕事」にするほどのものなのか・・・がまだよく分からないのだが。
 これはティーリッヒの場合に良く当てはまる、と言うことなのか。多分そう言う意味なのだろう。
 (しかしティーリッヒの著作と言うのはそれほど複雑で隠れたニュアンスのあるものなのか。神学者が読むより精神分析家が読み解く方がいいのか・・・。)


※タイトルの「亡命知識人」について説明していなかった。ご存知のように、①フランクフルト学派、②ポール・ティーリッヒ、③ハンナ・アーレント、らは皆ナチスドイツの時代にアメリカに亡命してきた方々で、ティーリッヒを除けばユダヤ人であった。


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