2010年9月10日金曜日

携帯電話

えっ、携帯持ってないの?


と驚かれるほど最近は誰でもが“携帯”している。

筆者は持っていない。
PCは3台使用していて、ITに暗いわけでもない。
なぜ使用しないか特段の理由はない。

仲間の教会連合の牧師たちも殆ど持っている。

数日前のポスト「牧師の社会経験」にも少し書いたが、自称グータラ牧師としては、携帯を持つなどちょっと似合わないではないか。

筆者の分析では、ビジネスなど本当に必要としている人、持たされている人、便利で使っている人、等を除くと、一種の“自己顕示欲”が働いている人もいるのではないかと勘ぐりたくなる。

ひねくれてるねー、と言われそうだが、携帯以前、分厚い手帳のカレンダーに一杯スケジュールを書き込んだのを見せて、いかに自分が忙しいのかを見せびらかすような人がいたではないか。

携帯もある種その後継で、自分がいつ何時必要とされるか分からないほど、重要人物であるかのような錯覚を起こさせる道具のように見えなくもない。

もちろんこれほど普及した後は、持っているだけでは何てことはないものなのだが・・・。

「だったらあなたもどう」、と言われても、とうぶん持つ気はない。


先日同年代の小さな会社を企業した友人と会話した。

「携帯持ってないなら(持たなくていいなら)その方がいいよ。」
実際に携帯を使用している人には、四六時中(ビジネスに)付き合わされている、ちょっと言い過ぎかもしれないが、監視されているような感覚が付きまとうのかもしれない。


ところで最近自分でツイッターをやるようになって思ったのだが、電車で盛んに携帯画面とにらめっこしている人は、ツイートを見ているのかもしれない。

電車の移動時間などそんな風に使うのも効率的に思える。何しろツイートの数は半端じゃないですからね。

インターネットが普及し始めた時も、今またツイッターが急激に浸透している時も、ある種依存症的なヘビーユーザーが出てくるようだが、「離れられない」と言うことが「携帯している」ことの裏返しなのかも知れませんね。

携帯を持たない時代に遅れた人間の“つぶやき”でした。

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