2010年10月5日火曜日

散歩コース

筆者は慢性的な運動不足である。

(※ポストによって「ですます調」か「である調」かは、その時の気分や内容で変わります。今回はたまたまこのポストを書く前に明治時代に関係することを読んでいたので「である調」で行きます。)

昨年春頃心身のバランスを崩し、それからようやく運動を心がけるようになった。
と言ってもせいぜい散歩。しかも毎日やるのではなく、週三回くらいである。

現在「マイ・散歩コース」は三つ。
その内2コースは、いずれも途中1キロちょっとは同じ道である。

家を出て駒込駅方面へ一直線に抜ける道を真っ直ぐ進む。
途中左側には衆院議員、文部大臣も歴任したことのあるH山邸を通り過ぎる。

染井通りで左折するが、ぶつかったところにはアクタガワ・チョコレートの本社がある。
毎年3回くらいバーゲンをやるのだが、朝から行列が並ぶので有名。

染井通りをただ真っ直ぐ進むと自然に染井霊園に入る。
染井霊園のすぐ手前には東京スイミングセンターがある。
今はこの前女子百メートル背泳ぎで日本新を出した寺川綾選手おめでとうの字が大きく出ている。
同じ敷地内に「サクラ温泉」がある。

さて、この染井霊園なのだが、その名の通り「ソメイヨシノ」の発祥の地とあって、春は花見客で大賑わいになるが、普段は至って静かである。
ここの霊園には有名人の墓も数多い。

小さいが、外人墓地もある。
その中に「東洋のナイチンゲール」と呼ばれたと言う、女性宣教師ローダスカ・ワイリックの墓が墓碑とともに建てられている。
(この写真では殆ど判別できないので、詳細を見たい方はこの方のブログをご覧ください。)

先ほどちょっとこのワイリック宣教師のことを調べていた。
筆者も良く知らない明治時代の知識人(芸術家を含む)たちとキリスト教の関係が少し分かった。

染井霊園に墓地のある高村光太郎の友人であり、ロダンを師と仰ぐ彫刻家であった萩原碌山のことである。

碌山は洗礼を受けキリスト者となったらしいことはある程度知られているらしいが、どこで誰から洗礼を受けたかは殆ど明らかになっていないのだと言う。
そのあたりの事情を調べた喜田敬「碌山と小石川の教会」によると、碌山は小石川の教会で洗礼を受けたのだが、受洗当時小石川教会は前進となるワイリック宣教師が始めた「関口教会」とその関口教会が一端閉鎖された後、日本人信徒たちが中心となって始められた集会の二つに分かれていたのだと言う。
碌山が自分の洗礼のことを余り詳細に言わなかったのは、背景にこのような教会分裂事情があったようなのである。

さて付け焼刃の歴史話はその位にして、散歩コースの話に戻る。

染井霊園を抜けたところで右折し、染井銀座・霜降銀座を通って駒込駅前に戻って来るのがAコース。(このコースの場合途中八百屋や魚屋で買い物をすることが多い。安いよ。)

右折はするが旧東京外語大キャンパス跡地前の通りに出て左折し、折戸通りを大塚駅前まで回って来るのがBコースである。(こちらは約一時間かかる。)

今日はAコースで散歩してきた。(買物はしなかった)

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