2010年10月17日日曜日

牧師の書斎

筆者の場合、それは事務室も兼ねる。

広さにして六畳弱。
天井の高さが2.9mあるので、自作の書棚は天井まで一杯に作ってある。
部屋が狭いので広く見せるために床置きではなく、途中からにしている。

「のらくら者の日記」のブログ主「もし大地震がきたら・・・」のような「専用本棚」ではなく、個人的で乱雑なアイテムが棚に並べられているので、お恥ずかしくて写真で見せるわけにはいかない。
だから後は筆者の貧弱な描写力による文章で想像してただきたい。

道路側の窓のある壁はゆるくカーブを描いている。
このカーブに合わせて切断した「霧島ツガ」の一枚板(厚さ五センチ、全長1.7m、平均奥行き60センチ)が置かれている。上にはデスクトップのPCが2台。
このデスクの左端上部棚には聖書類やA5版程度の大きさの本や、週報とかCD、カセット類も置いてある。

さらに一番天井に近い部分二段棚には、長さ2mくらいに渡って、哲学の本が並んでいる。プラトン、アリストテレス辺りから始まり、キケロ、すぐ中世に入ってドン・スコタスとかパドゥアのマジリウスが一冊、後はすぐデカルト、スピノザ、ホッブス、ジョン・ロック、ベンサムと啓蒙主義哲学者(ディドロ、ヴォルテール、ダレンバート、モンテスキュー、など)が並ぶ。
後はヒューム、カント、ヘーゲル、シェリング、シャフツベリー、キルケゴール、ブラッドレーとか。
これらのほぼ半分はあの黄色い表紙のボッブス・メリル社の廉価版哲学書シリーズものである。

部屋の反対側には同じく哲学、人文科学、社会学、アメリカ史、文学も少し、所謂ポケット・ペーパーバックの大きさの本が二重になって置かれている。段にして二段。残念ながら表面のを動かさないと裏に何があったか思い出せない。埋もれたまんまである。

ようやくその下三段が帰国後、アマゾンで購入した新本が並び始める。大体は聖書学関係。
一番使う頻度が激しいのが下に位置する。もちろんN.T.ライト。リチャード・ヘイズやリチャード・ボーカム、サンダース、ベン・ワイザリントン、等も並ぶ。

道路の窓と反対側の壁は無垢の栗板を五段に重ねた本棚。大きく右半分は現代哲学や社会学。特にフランクフルト・スクールの著者たち(マルクーゼ、ホルクハイマー、アドルノ、など)や別格でフーコー、ハーバーマス、ロバート・ベラーの著書が並ぶ。最近また読まれるようになったらしいマルクス、ヴェーバー、デュルケーム、古典としてまた別枠に並べてある。
変っているのは右側の上二番目の棚にはアメリカ・ピューリタン研究者ペリー・ミラーの著書が幾冊か。それにアメリカの文化史的なシリーズ、またボッブス・メリル社の「アメリカン・ヘリテージ」シリーズが八冊くらい。

(ここまでついてきた人何人くらいいるかなー。)

向かって左側は主に神学書。現代古典から少し古いのまでそれほど多くはない。
筆者の傾向として一人の著者を重点的に読む傾向があるので、H.R.ニーバーがいいとなったら、彼の本を買い集める、というパターン。

後は文化人類学(レビ・ストロース)や心理学、宗教学、文芸批評関係などが少しまとまりがある程度。

こうして見ると「牧師の書斎」としては偏っている。
何が一番少ないかというと、定評のある注解書群や辞書類。
無くては恥ずかしいTDNT、バルト教会教義学シリーズもない。
それから一番問題なのは日本人著者によるキリスト教関係書籍の圧倒的少なさ。

じゃあ集めた本は役に立っているのか。
読まなくても本に囲まれているのは、筆者には精神衛生的によろしい。
それから何かを読んでいて、はっと思う「著者」や「時代」や「領域」に何かしら関係のある本が一冊でもあると、手にとってわずかでも背景とかを知りうるのがよろしい。

最後に、筆者の場合「大地震」のことは余り心配していない。何しろこちらは大工的な工夫で棚自体は倒れたりしないように壁付けしたりしている。本が落っこちてきても大した量ではないから大丈夫だろう。
でもどこに隠れるか想定しておいた方が良いだろうか・・・。

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