2010年11月4日木曜日

先生の横顔(1)

ブログを毎日更新するのが少しずつ億劫になってきたので、連載ものを用意してみました。

筆者米国で延べ11年半遊学していたので、それなりに色々な方のお世話になってきました。その方々の「横顔」を描写しながら遊学時代を適当に振り返ってみたいと思います。

筆者が最初に目指した学校は米国ケンタッキー州にある、メソジスト・ホーリネス系のアズベリー神学校でした。
大学卒業を控えて神学校に願書を出していたのですが、残念ながら「留学生奨学金」を得ることが出来ず、一年(で大丈夫かどうかは定かではありませんでしたが)、同じケンタッキー州にあるケンタッキー・マウンテン・バイブル・インスティチュート(現カレッジ)で学ぶことにしました。

この学校はバイブル・ベルトにある学校としては極端に保守ではないのかもしれませんが、当時の筆者には充分“超保守”でした。
まあ神学的なことよりも実践的、実際的訓練が主でしたので、“超保守”の内容も、髪の毛の長さとか、服装とか、テレビがないとか、所謂「世俗」的なものから遊離した、と言う意味でのものでした。

キャンパスは、ローリング・ヒルズと呼ばれるケンタッキーの山とまでは行かない丘陵にあり、夕日の光景や自然に恵まれた、まさしく世から隔絶したような環境でした。

少し大学卒の“大人”には、子ども扱いされている不満はありましたが、総じて恵まれた一年でした。
筆者がある意味良い影響を受けた教師は、後から思い出すと心温まる感じの二人の先生でした。

一人は、B夫人先生で、教会史の授業で特に発破かけられました。(鼓舞された、と言った方がいいですかね。)
この方は、女性でありながら、背も高く、背筋をピット伸ばして、いつも指導者、先生であることを誇りにしている風でした。ちょっと“威嚇的”に見間違えなくもないほど勢いを振りまいていた先生でした。

しかし「ボーイズ(男子学生には)」と呼びかけては、「こうあるべきだ」と言う正論を正々堂々何のてらいもなく展開する、聞いていて気持ちの良い語り口でした。
切符がいいというのか、歯切れがいいというのか、自然と「そうだなー」と思わせる説得力のある先生でした。

このB夫人先生が、男勝りに見える先生だったのに対し、もう一人のD先生は、物静かで、物腰柔らかく、謙遜な方で、殆ど人をどっちかに導こう、何ていう色気を持ち合わせていないような、それでも先生でした。
クラスで教えている以外の時は、野菜畑でひたすら土いじりに精を出す農夫然とした方でした。

枯淡の味と言うか、人生の酸いも甘いも通り越して、何か少し超越した感じの方でした。
この「世から隔絶した環境」にあって、さらに超然とした風は、でも近寄りがたいと言うのではありません。
その逆で男子学生たちは、何か「おじいちゃん」みたいな親しさで接っしていました。
言葉よりも背中で人を教える方でしたね。
何よりも人格的な感化が大きかったと思います。
(逆を言うと、他の先生たちは学生たちがバックスライドしないように、時にヒステリックな感じで接していたので、D先生の寡黙な態度は、学生たちに安心感を与え、信頼感を与えたのだと思います。)

結局一年だけでしたが、ちょっと堅物だけど純粋な方々(中にはそれは少しバランスに欠けたような方もおられはしましたが)に囲まれ、また物珍しい留学生の特権として、他の学生たちの好奇心の的として、英会話を磨いて頂いた「聖書学校」時代でした。

Kentucky Mountain Bible College

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