2010年11月1日月曜日

活水

自分でもいつ頃からこの言葉を意識しだしたのかは今となっては思い出せない。

とにかく「活水」と言う言葉が好きである。

どっちが先かは分からないが、最初に「活水」と言う名前に触れたのは、日本における「ホーリネスの三つの流れ」の一源流であるバークレー・バックストンの流れを汲む、
柘植不知人(1873-1927)が始めた『活水の群れ』、か
あるいは、高校の時修学旅行時訪れた長崎市街を歩いていた時、オランダ坂だったか、途中間違って入り込んだ学校が女子高で、名前を『活水女学院』と言った。

筆者が最初に「活水」と言う名前を用い始めたのは、巣鴨聖泉キリスト教会の季刊「教会ニュースレター」だった。1991年だった。
教会ニュースレターは今も同名で続いている。

次は大分時間が経つが、アパートの一室を工作室にしつらえ、木工遊びを始めた時。
まだとても「工房」とは呼べないようなスペースだったが、木工教室を始めるにあたってであったろうか、何か名前を付けた方が良いと思い、「活水工房」とすることにした。

現在の活水工房は教会隣の平屋の貸家を去年大幅改装して16畳大のスペースである。
かなり工房らしくなった。
以前使っていたアパートは、やはり去年大幅改装され、「活水荘」と名づけた。

こんなわけで「活水」と名のつくものに囲まれて暮らしている。

それだけではない、初めの頃のポストで紹介した「教会パンフレット」を作成する時、グラフィック・デザイナーの方に教会ロゴをお願いしたのだが、その図案も「活水」であった。

と言っても、「活水」と言う語からロゴをイメージしてもらったのではなく、二年前に完成した、会堂正面の縦長窓に嵌め込んだ、ステンドグラスのデザインをそのまま活かしてもらったのである。

このロゴはパンフレットだけでなく、現在は筆者が発信するツイッター、SugamoSeisenのアイコンにもなっている。(このページの左側にツイートが表示されているが、その一番上にロゴを使ったアイコンが見える。)

これだけ使っていて、改めてその意味の深さに驚くことがある。
最初は何となくキリスト教的な語・イメージとして余り深く考えずに選んだのであるが、
教会ニュースレターに用いた時は、ヨハネ福音書7章38節
わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。(新改訳)
を念頭にしていた。

しかし、二年前に製作して頂いたステンドグラスの方は、エゼキエル書47章1-12節に描かれている、神殿から流れ出る川、その川の流域は命に溢れる、と言うイメージから作られた。

筆者はエゼキエル書の幻、イメージが何箇所にもわたって、「エデンの園」を想起させるのに気が付いたかことがあったが、「活水」のイメージはこのように「聖書の初めから、終わりまでを俯瞰する壮大なもの」であることに思いをいたすようになって驚いたものである。

御使はまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。(黙示録22章1-2節、新改訳)
我ながら良いネーミングをしたな、と思っている。

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