2010年11月7日日曜日

チャールズ・テイラー「自我の源泉」

今日の朝日新聞の朝刊に、この本の書評(ウェッブ版)が出ていた。
評者はいまあちこちで引っ張りだこの、姜尚中(カン・サンジュン)氏。

実は筆者はこのテイラーの本を3年前ほどに難儀しながら読んで大変感銘を受けた。
その本が邦訳されたわけである。

チャールズ・テイラー「自我の源泉 近代的アイデンティティの形成」(下川潔、桜井徹、田中智彦訳。名古屋大学出版会。9975円)
Charles Taylor, Sources of the Self: The Making of the Modern Identity.(Harvard University Press, 1989)

邦訳され発刊された年数が書いていないが、当然近刊であろう。

本書の書評が出ていること自体に興味を持ったが、評者が姜尚中と言う点でも期待を抱かせた。

読者に親近感を持たせるためだろうか、書評は夏目漱石の「心」についてから書き始めている。
本書を読みながら思い出したのは、夏目漱石のことである。小説『こころ』で、自殺する主人公の先生に、自由と独立と己をほしいままにして現代に生きるわれわれはこの寂しさを味わわなければならないと語らしめている漱石は、近代的な自我の迷路の中で懊悩し続けた。本書には、まるでそのような漱石の苦悩に応えようとする哲学的人間学の趣があるのだ。
まっ、とっかかりとしてはいいか。

でも、
浩瀚だが決して難解ではない本著は、わたしたちが見失いつつある、望ましい人生の意味に伴う畏敬や尊重の感情を取り戻すヒントを与えてくれる。
には、ちょっと違和感を持った。
そもそも「浩瀚」などという辞書でも引かなければ分からない言葉を使うのは如何なものか。(ただの筆者の語彙的無知かな?)
「決して難解ではない」にはカチンと来た。
筆者はこの本を読むのに一度か二度挫折している。
決して単純な本ではない。

議論自体は「現代倫理哲学」に寄与するものであるが、その寄与の仕方が並大抵ではない。
「生命への畏敬」など普遍的倫理的価値として前提されている観念の洞察的内容が倫理哲学上余り突き詰めてその源泉を掘り下げられていないことへの問題提起である。
倫理哲学者たちが行う議論は、元となる部分(洞察、閃き)を掘り下げないまま、それぞれのイデオロギー的立場ですれ違ってしまうことへの不満であり、また自らがその「洞察の源泉」を歴史的に遡ることによって、倫理哲学的議論の浅薄化を救済しよう、あるいは豊かにしようと言う、非常に野心的な試みの書である。

著名な文化人類学者でクリフォード・ギアーツと言う方がおられるが、この方の手法で thick description 「重厚描写」と呼ばれているものがあるが、テイラーは言わば「現代人の自己」がどのような源泉と経路を辿って現在の姿を取ったかを、幾筋もの縦糸、横糸をより分けてその来歴を“分厚く”書き綴っているわけである。
これは大変な苦労を要したはずである。

現代の倫理哲学者が最早意識しない、あるいは無視してしまうような、特に「霊的(キリスト教)」源泉にも目を配っているわけである。例えばアウグスチヌス、宗教改革の影響など。

日本ではマックス・ヴェーバーなどはよく読まれているので、ヴェーバーの描く「近代化の諸相」、あるいは「資本主義の精神とプロテスタント倫理」による「近代の横顔」にはある程度馴染みがある。
ここに言う「近代的アイデンティティ」とは、ウェーバー風に言えば、「西洋近代」に誕生しながら、やがて普遍的な意義を持つに至った自我や「わたし」についての観念ということになる。
と言うのもちょっと違うのではないか。
テイラーの関心は「西洋近代の自己」の描写であって、ウエーバーの言うように「合理化」が西洋から出発し普遍化した、と言う議論と同様に「自己」も普遍化した、と言おうとしているのではないように思う。
(当然「権利主体」のような概念や、その法制化は普遍化したが、テイラーはそのことを叙述しようとしているのではない。)
(まっ、評者は読者に分かりやすくするために用いた例に過ぎないのであろう。テイラーの議論として言っているのではないに違いない。)

むしろ「生命への畏敬」のような洞察はどんな文化にも共通するものとして見ていると思う。

と言うわけで、テイラーの議論・分析に、漱石のような「明治時代の知識人」の問題としての「近代的自我」を分岐的なものとしてくっつけるのは、面白いが、この本の読み方としては余り助けにならないような気がする。

「自己の源泉」が邦訳されたので、A Secular Age もそのうち訳されるのだろうか。
期待したい。
テイラーのやろうとしていることがより見えてくるはずだ。

※それにしてもこう言う本の邦訳本って高額ですね。英書ペーパーバックだったら今ならニ、三千円で買えるだろうに・・・。どんな人が買うのだろう、一般読者でも買うのかなー。

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