2010年12月25日土曜日

2010クリスマス瞑想

(※これは12/24クリスマス・イヴのメッセージ内容を覚書風に改変したものです。)

クリスマスはイエス・キリストの降誕を祝う時。

マタイ福音書によれば、ヨセフの子としてベツレヘムに生まれた「ナザレのイエス」はユダヤ人の王として来られた方。
東方の博士たちはヘロデの宮殿に来て尋ねた。
「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」
「ユダヤ人の王」としてお生まれになった方は、マタイによれば「ユダヤ人の王」として、ローマの十字架刑で処せられて死んだ。
また、イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである。」と書いた罪状書きを掲げた。
この「ユダヤ人の王」は宮殿ではなく、旅籠の馬小屋の飼い葉桶で生まれ、十字架刑で死を迎えた。何と言う「ユダヤ人の王」だろうか。


斯くも常識外の出生と死で括られた「ユダヤ人の王」の生涯は、特に公の宣教において、マタイはどのようにこの「ユダヤ人の王」を活写しているだろうか。

「王なる羊飼い」
この王は宮殿に住み武力で統治するような方ではなかった。
弱った人々の間に入っていかれた方であった。
散らされた羊ようなイスラエルの群集の窮状を遠くから眺めているのではなく、近くによって観察し同情された方であった。
それから、イエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。
また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。
この王は傷み、散らされた羊たちを癒す方であった。そのようにして羊飼いの仕事をなされた。
葦のようにぽきりと折れそうな、今にも消えそうな灯心のような羊たちを甲斐甲斐しく黙々と介抱し癒された。
 「これぞ、わたしの選んだわたしのしもべ、わたしの心の喜ぶわたしの愛する者。わたしは彼の上にわたしの霊を置き、彼は異邦人に公義を宣べる。
 争うこともなく、叫ぶこともせず、大路でその声を聞く者もない。
 彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない、公義を勝利に導くまでは。
 異邦人は彼の名に望みをかける。」
「王なる羊飼い」のメシヤ像は、上掲のイザヤの預言だけでなく、エゼキエルの「イスラエルの牧者」(あるいは「散らされた羊と非牧者」)を髣髴とさせる。
「人の子よ。イスラエルの牧者たちに向かって預言せよ。預言して、彼ら、牧者たちに言え。神である主はこう仰せられる。ああ。自分を肥やしているイスラエルの牧者たち。牧者は羊を養わなければならないのではないか。
あなたがたは脂肪を食べ、羊の毛を身にまとい、肥えた羊をほふるが、羊を養わない。
弱った羊を強めず、病気のものをいやさず、傷ついたものを包まず、迷い出たものを連れ戻さず、失われたものを捜さず、かえって力ずくと暴力で彼らを支配した。
彼らは牧者がいないので、散らされ、あらゆる野の獣のえじきとなり、散らされてしまった。
わたしの羊はすべての山々やすべての高い丘をさまよい、わたしの羊は地の全面に散らされた。尋ねる者もなく、捜す者もない。
それゆえ、牧者たちよ、主のことばを聞け。
わたしは生きている、――神である主の御告げ。――わたしの羊はかすめ奪われ、牧者がいないため、あらゆる野の獣のえじきとなっている。それなのに、わたしの牧者たちは、わたしの羊を捜し求めず、かえって牧者たちは自分自身を養い、わたしの羊を養わない。
それゆえ、牧者たちよ、主のことばを聞け。
神である主はこう仰せられる。わたしは牧者たちに立ち向かい、彼らの手からわたしの羊を取り返し、彼らに羊を飼うのをやめさせる。牧者たちは二度と自分自身を養えなくなる。わたしは彼らの口からわたしの羊を救い出し、彼らのえじきにさせない。
まことに、神である主はこう仰せられる。見よ。わたしは自分でわたしの羊を捜し出し、これの世話をする。
牧者が昼間、散らされていた自分の羊の中にいて、その群れの世話をするように、わたしはわたしの羊を、雲と暗やみの日に散らされたすべての所から救い出して、世話をする。
わたしは国々の民の中から彼らを連れ出し、国々から彼らを集め、彼らを彼らの地に連れて行き、イスラエルの山々や谷川のほとり、またその国のうちの人の住むすべての所で彼らを養う。
わたしは良い牧場で彼らを養い、イスラエルの高い山々が彼らのおりとなる。彼らはその良いおりに伏し、イスラエルの山々の肥えた牧場で草をはむ。
わたしがわたしの羊を飼い、わたしが彼らをいこわせる。――神である主の御告げ。――
わたしは失われたものを捜し、迷い出たものを連れ戻し、傷ついたものを包み、病気のものを力づける。わたしは、肥えたものと強いものを滅ぼす。わたしは正しいさばきをもって彼らを養う。
(エゼキエル34:2-16)
「王なる羊飼い」の招きのことば
斯くも、衰え果て、弱り果てている「羊飼いのいない散らされた羊」のようなイスラエルに対して、この「ユダヤ人の王」は優しい招きのことばをかけてくださる。
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。
「ナザレのイエス」は、今も私たちに近づき、助け、起こしてくださる。
心優しく、へりくだった王。
私たちの求める真の王・統治者はそのようなお方である。

0 件のコメント:

コメントを投稿