2011年1月19日水曜日

先生の横顔(4)

博士課程の選択にあたって、要素として考えていたことはアカデミックなことではなく、何らかの形で教会奉仕の機会があるような環境だった。
自然とカリフォルニア州の学校に目が行った。何しろ日系教会の数は多い。

その中で「社会倫理・宗教社会学」のコンセントレーションがあるGTU (Graduate Theological Union)を選んだ。場所はあのバークリーである。
GTUはその名の通り9つの神学校の連合であり、PhDプログラムの場合はカリフォルニア大学バークリー校との連携によって、総合大学のアカデミック・プログラムで補強している。

さて学校が決まったところで早速バークリーにある日系教会の牧師に「教会で奉仕をしながら勉学したいのだが」と照会の手紙を書いた。
快諾の返事が来て、教会員の家に泊まれるよう紹介してくれた。

その方は何と当時既に90近いおばあさんで一人暮らしだった。
後から分かったのだが、このおばあさんはこの教会の重鎮と言うか、教会の生き字引と言うか、とにかく柱のような方だった。

牧師になる勉強をしている青年という事で、住まいが見つかるまで快く自宅を開放してくれた。
数日間暮らしていたら、何か騒々しくなってきた。
このおばあさんが血圧など健康問題を抱えていて、それを心配している70ぐらいのおばあさんが、家を紹介して泊めてくれるように手配した牧師にすごい剣幕で抗議に来た、と言うのである。

と言うわけで一週間くらいだったか泊めてくれたおばあさんの家を去り、一先ずバークリー市内のウィークリー・ホテルのような宿泊所にステイしながらアパートを探すことになった。

さて学校の方に話を戻すと、筆者の指導教官、M・J教授はいかにもカリフォルニアと言う感じの眼鏡をかけた細身のカジュアルな感じの方だった。
比較宗教倫理学を専門にしていて、特にインド地域の宗教研究、「宗教と暴力」のような研究を専門としていた。

その後のことを考えると後悔するのだが、この教授は愛想はいいが常に忙しく、なかなか落ち着いて指導をしてくれる、と言う方ではなかった。

その代わりと言っては何だが、宗教社会学関係の講座を教えていたJ・C教授は壁にぶち当たった時親身になって相談に乗って励ましたくれた。

実は博士課程の二年目でこの先続けて行く自信を失いかけていた時だったのである。

結局その後一年間休学することになったのだが、この時のJ・C教授の励ましがなかったなら途中でやめていたかもしれない。

学校の方は、そう言うわけで、順風満帆とは行かなかったが、教会での奉仕は充実していた。
最初にお世話になった教会はそんな経緯もあり、別の教会をバークリー周辺で探していた。

幾つかの教会を礼拝毎に訪ねていたわけだが、後にお世話になることになったイーストベイ・フリーメソジスト教会の礼拝に出たその週、たまたまその時欠席していた二人の青年が筆者のアパートまで訪ねて来た。
要するに「まだ教会が決まってないのなら、ぜひうちの教会にどうぞ」と言う勧誘のような雰囲気であった。

彼らは話してみると、年齢も同じ、話していくうちに「じゃここにお世話になろうか」と決めた。
彼ら、青年会の名前は「むぎほ会」。「むぎ」はバークリーから取っていた。

(※次回に続く)

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