2011年1月24日月曜日

進化論的キリスト教

本ポストの標題はEvolutionary Christianityの訳です。
まだ余り日本語ウェッブサイト上では見当たりませんが、この視点を宣教師的熱心でアッピールしているマイケル・ダウド(Michael Dowd)師が主に使っている表現で、まだ一般的用語ではないようです。

筆者は進化論に関しては大した関心のないまま来てしまいましたが、本ブログ「人気投稿」トップの座を依然としてキープしている「有神論的世界観と『被造世界』の科学的解明」に対する反応を見て、改めて『進化論』に対する認識の重要性に思い至りました。

上記ポストでは「進化論」の問題は「科学と信仰」あるいは「科学と宗教」と呼ばれる討論分野の一アイテム、と言う位置づけでしたが、北米では「進化論」受容の是非を軸に「カルチャー・ウォー(文化対立)」と呼ばれるほど論争がヒートアップしていることを再認識するに至りました。

北米キリスト教の聖書主義的キリスト教の文化的背景では、「創造の時間的古さの問題(字義通りの六日間創造解釈、ヤング・アース説、オールド・アース説、など)」「人類創造(アダムとエバの史実性)の問題」が福音派内でも保守派と穏健派で争点になっています。

ところがマイケル・ダウド師の提唱する「進化論的キリスト教」は生物学的な進化論だけでなく、宇宙の進化、生命の進化、生物の進化、文化・社会の進化まで網羅する「包括的な進化論」の視点からキリスト教を再解釈する問題提起となっています。

昨年末ダウド師は、キリスト教の様々な立場に立つ識者、ノーベル賞受賞者を含む科学者、「科学と宗教」の専門的研究者など38人とネットを介してインタヴューを敢行しそれをネット上で公開しています。
Science-rejecting creationism and faith-rejecting atheism are not the only games in town. Tens of millions in the middle, represented by the amazing diversity of thought leaders participating in this teleseries, see no conflict between faith and reason, heart and head, Jesus and Darwin. For us, religious faith and spiritual practice can be strengthened and deepened by what God/Reality is revealing through science.
とあるように、「進化論を、つまり科学を否定する保守的キリスト教」と「科学を敵視する時代遅れの宗教と見る無神論者」の極端な「文化対立」の構図に見えるけれども、実際にはその間に挟まれた大多数は「科学と信仰」を両立するものと見ているのだ、と捉え、この中間層に位置する識者たちがどのように「科学と宗教」を調和、対話、補完させているのかをインタヴューを通して示そうと言う企画のようです。

と、ここまではダウド師がいかにも「科学と信仰」を調停し、どちらの分野にも独自の存在理由があるかのように思わせますが、インタヴューを幾つか聞いてみると、表面上はそのような会話をしているように見せながら、ここかしこにダウド師独特の理解と言い回し(deep-eye, Reality, evidential knowledge, natural, etc.)を使って、自説をインタヴュー相手に試している、あわよくば同意を得ようとしている、・・・風に聞こえます。

筆者は現在北米保守派の論客第一人者の一人アルバート・モラー師とは大分見方が異なりますが、モラー師のダウド評Thank God for the New Atheists?には一定の同意を覚えます。

ダウド師は心から自説を信じているようで、進化論を受け入れてキリスト教を根底から現在の科学的認識に調和させることがキリスト教にとって良いことであり、聖書やそれに基づいた教義などと言う古い時代的制約下で成立した神話は捨て去るべきだ、と主張しています。

まあ、聞いた範囲の感想なのですが、ダウド師は非常に標準的なアメリカ人、ストレートに物を考え、決まった言い回しを繰り返し繰り返し用いながら、さらに自説への自信を深めていく、無邪気さを兼ね備えている感じです。


それ程自分が達して保持している世界観の素晴らしさに酔っているような雰囲気を持っています。

インタヴューではマナーも良く、相手と自分の考え方の違いも認める率直さも持っています。
ただ「素直で無邪気な頑固さ」と言うか、平均的アメリカ人にアッピールする伝染力を持っている感じです。

不思議なのはバイオ・ロゴスのカール・ギバーソン(副理事長)やジョン・ポルキングホーンなどもインタヴューに応じていることです。
筆者の目から見ると、これほど歴史的キリスト教とはかけ離れた考え方の持ち主と実のある対話を出来ると考えての応諾だったのか・・・その辺が良く分からないところです。

まっ誰とでも対話できることはそれなりに市民社会の成立にとって相応しいことなのかもしれませんが。ただこれがダウド師の信憑性を高める広告塔の役回りをやらされた・・・なんてことにならなければいいのですが。

と言うわけで、結論から言うと38人へのインタヴューはそれなりに興味深いし得る所はあると思います。ただダウド師によるキリスト教のラディカルな再解釈には要注意です。
キリスト教の表現を自説に合うようにつまみ食いし、「キリスト教を原理的に規定する使徒的福音」への配慮は殆んど持ち合わせていないようです。
ダウド師にとってキリスト教の啓示は、「ナザレのイエスにおいて神が成就された終末的救いの出来事」ではなく、太古の昔から延々と繰り広げられ現在も進化している「宇宙全体のリアリティー」そのものであり、彼自身が言うように「全く現在的な啓示」と言うことになるようです。それがどれほど歴史的・正統的キリスト教と乖離した内容となっても、あくまで「現在的(科学的)啓示」が優先する、と言うことのようです。

筆者はもっと慎重で真面目な進化論との対話を促進する神学者、教会人の意見を参考にしたいと思います。その基準から言うとダウド師は表現は良くないですが「包括的進化論の心酔者、道化みたいな宣教師」に見えます。

※果たしてダウド師の奉ずる「進化論的キリスト教」は日本に渡来するでしょうか。もし渡来したとしたら一定のアッピールはすることでしょう。

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