2011年7月25日月曜日

ノルウェー銃乱射事件

この国で、こんな事件が・・・。

衝撃だった。
福祉が充実し、比較的裕福で安定した社会。
それがノルウェーを含めた北欧三国のイメージだった。

アンネシュ・ブレイビク容疑者(32)については色々な報道がなされていて、ある程度この人物の輪郭は掴めるようである。しかし、政府庁舎爆撃とウトヤ島での銃乱射と言う政治テロと見える行動の背景はまだまだこれからではないか。

報道によるとブレイビク容疑者は保守的キリスト者であるという。
しかしノルウェー労働党政府の移民政策や反イスラム主義に対するテロとしては単なる保守キリスト教を背景と見るのは早計ではないか。


YouTubeで流されたと言う反イスラム主義の、Knights Templar 2083としての主張や、戦争ゲームなどを好んでいたとの情報を合わせると、何やら子供じみた大げさなドラマ仕立ての主役であるかのように振舞ったように見える。

目下の関心は法廷でのやり取りを公開するかどうかにある。と言うのも容疑者自身が自分の行動の背景を説明したいと言っており、もし公開すればテロリストに自己のイデオロギーを宣伝する機会を与えることになるからだ。

BBCによると
His lawyer, Geir Lippestad, told Norwegian media on Sunday: "He thought it was gruesome having to commit these acts, but in his head, they were necessary.
"He wished to attack society and the structure of society."
つまり彼の頭の中では今回のテロは残虐であるが必要だとの確信に基づく蛮行であったわけだ。殺戮についての計画も念の入ったものであっただけでなく、それを正当化するイデオロギー強化にもかなり時間をかけた様子である。

非道な暴力を冷血とか人の血が通っていないとか言うが、少なくとも普通の人間の感覚や感情が彼には全く備わっていなかったのだろうか。
それとも自分のイデオロギーの正しさに余りにも自己陶酔してしまって、殺戮行為を犯すと言う感覚が麻痺してしまったのだろうか。

彼の爆破行為や銃乱射に何かシュールでバーチャルな感覚がつきまとう。
テレビゲームで大量殺戮を日常的にやっている姿が重なってしまう。
現実とバーチャルが実際の世界で摩り替わってしまったのだとすれば、何と短絡的なテロ行為だったのではなかろうか。

従来のテロ行為は、軍事的に圧倒的劣勢に立つ者が起こす自爆的なもの、と言う構図があった。
先進国で今回起こったテロ行為はそれとは異質なものだと思う。
日本では数年前に秋葉原事件があったが、政治的メッセージが込められていなかったにせよ、現代の孤独と不満を暴力によって発散する構造には何か通底するものを感じる。

これだけの人の命をまるでゲームをするかのように手玉に取った容疑者の行動には言い知れぬ恐れとともに、悪の非道性を越え、人倫の規範の枠の外で行われた、無機質な一種の表現主義を見るような気がする。

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