2011年10月24日月曜日

何歳まで生きたい?

とある会話で「何歳まで生きたい」と唐突に聞かれた筆者は答えに詰まった。

先日57歳の誕生日を迎えたが暫く前から、もっと正確に言えば40代後半位から、人生の折り返しに入っていることは漠然と考えるようにはなっていた。

ここ2年ほど体調がすぐれないと言うか、気力が落ちているのを感じているので、どちらかと言うと一日一日、一週間一週間なるべく不具合なく過ごすのが目標みたいにしている。

「何歳まで生きたい」と質問されて、はたと「そんなこと考える余裕のない自分」を発見したような気がした。
でも改めて考えてみると「長生きしたい」とは思っていないようである。

先日元気印の有名老人、日野原重明氏が100歳を迎えたことがニュースになっていた。
その時だったか、その数日後位だったか、何かのテレビ放映で日野原氏が「私はまだ110歳くらいまで生きる気がする」と言っていた。
またご自分スケジュール帳には10年先までの予定が書いてある、みたいなことも言っていた。
全くバイタリティーに溢れた方である。

でも余り羨ましいとは思わないのはなぜなのだろう。
詰まるところ「自分の人生でこれを実現したい」と言うようなはっきりとしたゴールを持っていないからなのだろうな。
これまでもそうであったように大体が行き当たりばったりの人生を歩んできたわけだ。
計画性がないというか・・・。

もともと人より何事もゆっくりペースを好む方だ。
競争は嫌い。
とにかく何かに必死になると言うことが殆んどない。

思い返せば神学校時代、初めて頑張って勉強することを学んだ。
と言ってもせいぜいタームペーパー(小論文)を締切日前に完成させるため半徹夜したことが一回ある程度だ。
だが筆者にとってはそんなに必死になったことはなかったので、無事完成させた時の解放感、達成感は特別なものだった。

要するに普段はいかにして労を惜しむか、つまり省力に頭をひねる方なのだ。
そういう生き方をしてきた人間が「何歳まで生きたいか」と問われても答えに窮するのは無理もないのではないか。

自然体。
流れに任せる。
少しキリスト教的に高尚に言えば「摂理のまにまに」だ。
自分であれこれ画策するのは面倒くさいだけなのだが・・・。

ただ牧師をやっている手前後何年位できるのか、教会の将来をどうしたらいいのか、等の課題は無理にでも考えざるを得ない。
回答は難しくて出そうもないが・・・。

「何歳まで生きたい」
こんな質問時々必要だ。
はたと立ち止まってぼんやりしている自分に活を入れるためにも。

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