2012年1月20日金曜日

エバンジェリカリズムの分析整理

敢えて標題には「福音主義」としなかったが、きょう紹介する本、


は、「福音主義」の流れ、運動に属する者たちが、その中での異なる立場をどうお互いに認識しているか、を表す本である。
と言ってもこの本は多分に「北米」福音主義者たちの間の問題である。

日本においては福音派と言えば「日本福音主義同盟(JEA)」があり「日本福音主義神学会(公式サイト)」があるが、幸か不幸か団体の設立期を除いてそれほど「福音主義のアイデンティティー」を議論するような気風は感じられない。
だから仮に「福音主義」とは何かを論じたとしても多分に「北米」の福音主義における議論の紹介に終始するだろう。

で、筆者がなぜこの本を読もうと思ったのか、と言うことだが、筆者の北米における留学の時代から既に約30年が経過し、その間「福音主義」の抱えるアイデンティティー問題の文脈も変化してきている、そのキャッチアップに資する本ではないかと思って購入した次第だ。

だからこのブログ読者にはそれほど関心がないだろうと思う。(でもちょうど読み終ったところなどで何か書いてみようと思ったのだ。)

さて現在の北米福音主義の色分けとして四つの立場:
①ファンダメンダリズム、
②コンフェッショナル(教理重視)・福音主義、
③ジェネリック(用語本来の意味での)・福音主義、
④ポストコンサバティブ(従来の保守的立場から進んだ)・福音主義、
に色分けされている。

各立場を解説する論客は順に、ケビン・ボーダー、R・アルバート・モウラー・Jr、ジョン・G・スタックハウスJr、そしてロジャー・オルソン、の四氏である。

この本の面白いところは各自が自己の立場から「福音主義」を定義した後に、残りの三氏が「応答」するところである。
言いっぱなしではなく、討論して相互の違いを更に浮き彫りにしようとするところである。(当然共有するところはそれと指摘もするが。)

また日本と違って(日本では逆に議論がなさ過ぎて物足りなさを感じるのだが)何を論ずるのでも「レッテル貼り」や「異端視」や過激に反応して穏やかな討論、噛み合った議論が出来なくなっている傾向のある「神学上の言い合い」にならないように、これら四氏は相互に「ブラザー・○○」と呼び合ったりして努めて礼節を弁えた議論を展開しようとしている。

筆者が読んだ大雑把な感想では、ケビン・ボーダーの「ファンダメンタリズム」の立場が一番論理的に整合していて、しかし最も狭隘で厳密な「境界線」を設定する。彼の定義する「福音主義」ではない者は、即「非キリスト者」でもある。
一番「誰がインで、誰がアウト」かを嗅ぎ分ける臭覚に優れている、とも言えるかもしれない。

R・アルバート・モウラー・Jrの「コンフェッショナル・福音主義」はスピリット的に前者に似ているが、いくらか視野が広い感じがする。
でも「聖書解釈と無誤論」で紹介したように「福音主義」にとって彼がエッセンシャルと認めるものから逸脱する者には激しい論駁をする。
まっ、彼自身が論争好き、みたいな印象もあるが。(正統主義を自負しているイメージが強い。)


これら二者に対して残るジョン・G・スタックハウスJr、とロジャー・オルソンは、デイビッド・ベビントンの


 「近代英国における福音主義」で用いられている定義(神学的と言うより社会学的)、
①Crucicentrism(十字架重視)、
②Biblicism(聖書主義)、


③Conversionism(回心主義)、
④Activism(行動重視)、
を援用して、どちらかと言うと「ビッグ・テント」型な、より広く福音主義の歴史的流れから特徴付けようとしている。
オルソンに至っては北米福音主義神学会で大論争を巻き起こした「オープン神論(Open Theism)」も福音主義の中に含む扱いをしている。

後者二者はその点で前二者より、神学的に境界を設定するのではなく、社会学的な(敬虔主義やリヴァイヴァリズムなどを含めた歴史的な流れ)観点からより広く(generous orthodoxy)、よりリベラル(progressive)な印象を与える。

関心のある方により詳細関連情報:
・出版社サイトのこの本の紹介(リンク
・この本の反響やコメントを掲載したサイト(リンク

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