2012年2月12日日曜日

信教自由:ナイジェリア

筆者が時々「信教自由」について投稿するのは単なる興味や関心からではない。
使徒パウロに比べるのはちと恐れ多いが、彼がキリストを宣べ伝えるのは「負い目」からであると言っているように、筆者にもそのような「負い目」を感じる経験があるからである。

大分前の話になるが世界福音同盟、当時はWEFと呼んでいたが、現在のWEAの総会に出席したことがあった。
1993年のマニラでの総会であった。

その時筆者は少々おのぼりさん感覚で「世界の教会事情を若いうちに見ておこう」と思っていい意味で興味半分に参加したのであった。

日本からの参加は30数名だったが、筆者は一番若い方であったと記憶している。

ところがこの総会の前に、その時を契機に発足しようとしている『信教自由委員会』設立準備委員会が開催されると言うのだが、それに出席予定だったU牧師が出席できなくなり、急遽『君が代わりに出席して様子を見且つ日本の信教自由の状況を紹介してきてくれないか」とF牧師から頼まれたのだった。

それで一夜漬けのような勉強と言うか下調べをしてこの設立準備委員会に出席したのだった。
ところが出席してすぐとんでもないところに出席してしまったと実感した。

参加していた30名近くのメンバーたちは大きく分けて欧米先進諸国、信教自由が保障されている側と、アジアやアフリカなど特にイスラム圏の信教自由が脅かされている国々からの二つの地域からだった。
問題は深刻で且つ緊急であった。
かなり緊張感の高い雰囲気の中で討議はなされた。

日本からただ一人参加した筆者は「靖国問題」が当面の信教自由問題であることを説明しようと思っていたのだが、すぐさま諸外国の事情はもっと緊迫した劣悪な状況にあることを察知させられ押し黙るしかないな、と感じた。
むしろ日本に期待されていたのは指導的な国であることを反映させて、これら信教自由侵害を受けている国々のために自国政府に働きかけたり、擁護(アドヴォカシー)する役割だった。

イントロが長くなったが、そう言う訳で筆者は現在「信教自由」のために別に何の立場や役割にあるわけではないが、機会を捉えて少しでも発信できたらと思っているわけである。

さてナイジェリアと言う国に関して日本でも新聞等で報じられているように「ボコ・ハラム」によるテロ活動が活発化し、警察施設やキリスト教会がターゲットにされている(朝日新聞、ここここ)。

この「ボコ・ハラム」とは「西洋の教育は罪」 という意味で、指導者のモハマド・ユサフが西洋化教育に反対しているため人々がユサフの指導するグループを「ボコ・ハラム」と呼ぶようになったと言う。

ボコ・ハラムは最初からクリスチャンを攻撃対象にしていたわけではなく、もともとはイスラム教ジハドに基づく反政府・反人民武力闘争を行う「サラフィ(Salafi)運動」の流れを汲むものであるという。
最初は政府の腐敗や治安部隊の暴力性、そして南部キリスト教地域と北部イスラム教地域の経済格差に対する抗議運動であったものが次第にエスカレートし、外部のジハド運動体とネットワークを組むようになってクリスチャンに対する攻撃を始めるようになったと言う。
それは2009年ごろから始まり最近になって緊迫の度を増している。

ボコ・ハラムの狙いはこのようにクリスチャンをターゲットにしてナイジェリア南北の対立を激化させ、政情を不安定にして主導権を握ろうとしていると言う。
目下北部でクリスチャンを攻撃するのはテロリストたちだけで現地のイスラム教住民たちはこれに加わっていない。
テロリストの狙いは宗教対立による南北分裂、そして北部にシャリア法に基づくイスラム国家建設にあると言う。

以上の報告をしているゴッドフリー・ヨガラジャWEA信教自由委員会委員長は、現地のクリスチャンたちがテロリストたちの挑発に乗って暴力で報復することのないよう、また政府が北部のクリスチャン、教会をテロリストの攻撃から守るよう、世界の教会がナイジェリアの教会を覚えて祈るよう呼びかけている。

WEA-RLC Research and Analysis Report --- 1/2012
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Responding to Boko Haram's Terror in Nigeria
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February 08, 2012

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