2012年5月31日木曜日

6月14日 バザー

☆バザーのご案内☆

日時☆2012年6月14日(木) 
午前10時30分~12時15分
場所☆巣鴨聖泉キリスト教会 豊島区巣鴨1-3-19
出品物:
* 手作り食品
* 手作り品
* 雑貨・中古品・その他

主催:東京第一友の会 文京方面(雑誌「婦人之友」愛読者の集まり)

2012年5月26日土曜日

明日の礼拝案内

ペンテコステ主日礼拝

5月27日 午前10時30分

朗読箇所 ガラテヤ人への手紙 5:16-26
説 教 題 「新しい歩み」
説 教 者 小嶋崇 牧師


《講解メモ》
パウロ書簡の学び(82)
ガラテヤ人への手紙(70)
・5:16-26 霊と肉
(A) 5:16-18 御霊によって歩む
(B) 5:19-23 肉の行いと御霊の実
(C) 5:24-26 新しい歩み

放射能と子どもたち

あれから1年2ヶ月。




たまたま動画の中で歌っていたディズニー・ランド
It's a small world
の訳詩が福島の子どもたちの状況と妙にシンクしていた。

2012年5月24日木曜日

2012「ジュリアの会」作品展

2012年5月19日と20日に持たれた「ジュリアの会作品展」のご報告です。

2001年に新会堂になって以来、これで3回目となります。

前日(18日)の「活け込み」から始まりました。

開始当日は天候も良く、三々五々お客様が見に来られました。
(以下の写真は両日にまたがっています。)

玄関です。

会堂入り口です。
中央のテーブルには
5つの作品が置かれています。
作品を眺めながらティータイム。
街道隣のダイニング。
花より昔話?
見に来られたお客さんが
リクエストに答えて歌を披露する場面も。
会堂と隣り合わせた
活水工房(左の木造平屋)へ。
白樺と桂の間の小径
を通って工房入り口。
工房を入るとすぐ
チイサナティールーム。コーヒーをサーブしていました。

と言うわけで、両日とも閉会時間まで途切れることなくお客様が来場され、盛会でした。







2012年5月22日火曜日

N. T. ライト「復活」について

少し古いですが、筆者の母校アズベリー神学校での三回の講演ヴィデオがYouTubeに出ています。








今から13年前ですが、いかにもライトという感じです。

復活の史実性を歴史的に検証しているだけでなく、一世紀ユダヤ教の世界観の地平から、キリスト教が起こった根本的出来事としての「イエスのbodily resurrection」と意義を論証しています。

特に重要なのは「復活」が一世紀の文明的文脈において何を意味したのか、その「意味の幅(スペクトラム)」の中で、「死者の復活」は単に一般的「死後の命」ではなく、ユダヤ教の中でも特殊な意味内容を有していた、と言うポイントです。


英語を聞くのは苦手と言う方には、同時期、別の場所で行なわれた講演で、内容的に重なるものを筆者が翻訳したものがあります。
ここをクリック(2番目の動画と議論の組み立てが重複します。)


2012年5月19日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

5月20日 午前10時30分

朗読箇所 マタイの福音書 6:25-34
説 教 題 「フラワー・パワー」
説 教 者 小嶋崇 牧師

《ジュリアの会作品展》開催中のため短い礼拝となります。
作品展20日、日曜の部は正午から開催となります。

2012年5月18日金曜日

いよいよ明日から

ジュリアの会作品展 2012

当教会会堂、及び活水工房を会場に
ジュリアの会作品展
が行なわれます。



日時:
2012年5月19日(土) 11:00~17:00
2012年5月20日(日) 12:00~17:00

☆ ジュリアの会・・・安田敏子さんが主宰するフラワー・アレンジメントのクラスです。

☆ 当日は、先生、生徒、13名の作品が展示されます。

☆ ティーと焼き菓子も用意しております。ゆっくりご観覧ください。

☆ 会場へのアクセス・・・ここをクリック

☆ 会場についてのお問い合わせ・・・℡03-3946-8035


☆前庭のツルバラ(バタースコッチとホワイトスノー)が満開になっています。

☆出入りご自由。お気軽にお立ち寄りください。

☆ 2004年の「ジュリアの会作品展」の様子は・・・こちらをクリック

2012年5月15日火曜日

福音(書)と呼ばれるわけ

「キング・ジーザス・ゴスペル」ブログ更新のご案内です。


KJGの第6章、The Gospel in the Gospels?をさらっと紹介しています。
こちらをクリック


ところで、FB上のN. T. Wrightの最新刊、How God Became King、もおかげさまでメンバーも少しずつ増え、現在32名が登録しています。
今第3章を読んでいて、4月開始からのゆっくりペースを維持していますので、途中からでも気軽にご参加ください。

二つ掛け持ちで大変なこともありますが、二つの本がテーマにする「福音」(KJG)と「四福音書」(HGBK)とが色々なところで交錯して同じトピック(例えば「信条」)に対して違う光線を投げかける、みたいな面白さもあります。

さて少し脇道にそれましたが、今回のKJGブログ更新では、

①「福音書事始」みたいなことと、
②マクナイト教授が「福音書の内容」を、「使徒的福音」の視点からどう捌いているのか、
と言う事を主に紹介しました。

2012年5月12日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

5月13日 午前10時30分

朗読箇所 ガラテヤ人への手紙 1:11-17
説 教 題 「生を受けた者として」
説 教 者 小嶋崇 牧師

《説教シリーズ》「遣わされて」③

※昼食会があります。

2012年5月11日金曜日

どうしたんだろ?

日本ではブログ仲間・・・とまでは言えるかどうか分からないが、互いに(こっちが勝手にそう思っているだけかもしれないが)関心を払っているキリスト教(プロテスタント)のブログが幾つかある。

最近そのうち二つが、「しばらく中止」案内みたいのを出した。どうしたかなー、と思っていると、一つは復帰、もう一つは自教会のHPに注力する、と言うことで仮運転みたいに継続している。

ところで今日の「どうしたんだろ?」は、英語圏ブログ紹介⑥で紹介した、マイケル・J・ゴーマンの去就についてだ。
先ず気がついたのは、右コラムにもリンクがあるCross Talk - crux probat omniaブログがネットから消えたことだ。もう数週間になるだろうか。

ネット上で名前で検索してもゴーマン氏の近況についての情報は見つからない。

教鞭を取っている、St. Mary's Seminary & University THE ECUMENICAL INSTITUTE OF THEOLOGYのサイトでは、Deanをお辞めになって、新しいDeanが紹介されている。

ゴーマン氏はセント・アンドリュース大学のN.T. Wright教授とも親しいはずだが、恐らくゴーマン氏が尽力してライト教授を招いたと思われる、2012年5月11日(日本時間では明日)の講演会の前に辞任なさるということはきっと深い事情があるのだろう。

どちらにしても今は何か特別なことがあって学校からも、ブログからも手を引かれたのであろうが、また復帰なさることを願うばかりである。

と言うことで、Cross Talk - crux probat omniaブログのリンクは現在死んでいるが、期待をこめて右側のコラムにはそのまま残しておくこととする。

2012年5月9日水曜日

神学遍歴③

神学遍歴②を書いてから1ヶ月近く経ってしまった。

前回は米国留学二番目の学校、ケンタッキー州にある聖書学校でのことを書いた。

もともと日本で大学卒業後は、米国のやはりケンタッキー州にあるAsbury Theological Seminaryに学ぶべく準備していたのだが、「留学生奨学金」の選考に漏れ、英語もまだ十分ではない、と言うことでその聖書学校で一年間学ぶことになったわけである。

さて一年後首尾よくその奨学金を戴けることになり、夏の間にアズベリー神学校のキャンパスに移ったのであるが、入学前に聖書全巻を読んで一巻ごとのアウトラインをまとめておくこと、と言う宿題を頂いた。それと言うのも既に当時からキリスト教系大学外から神学校に入学する生徒が増えてきていて、基本的な聖書知識もない、と言う事があったからだ。

それまで聖書通読は何度かしていたが、アウトラインにまとめるほどちゃんと読んではいなかった。旧新約聖書をこのように読み通すことは当時の筆者にはなかなか苦行であった。先が思いやられる感じもした。

さて正式入学後最初に取った「基礎教理」みたいなクラスであったが、そのクラスでの最初の課題が『受肉と贖罪』についての小論を書くことだった。つまり今までは多少なりとも神学書みたいなものは読んだことがあったわけだが、ここで初めて「神学する」「神学的思索をしてそれを書き表す」と言う仕事を課せられたわけであった。

ダブルスペースで8-10枚位書いた(当時はタイプライター)だろうか、手元に残っていないので記憶を頼りにするだけだが。どうやって書いたかというと、聖書の関連する箇所さえ十分には分からないので「神学辞典」を頼りにした。該当項目を先ず丹念に読んで、一体何についてのことか、どういう主題なのかを把握することから始めた。次に参照されたりしている聖書箇所を実際に読みながら思索を深めて行った。最も困難なのは「受肉」と「贖罪」を関連付けることで、思索的なこととは主にこの作業であった。

大したことを書けたわけではなかったが、何か初めて神学に触れた感じがした。という訳でこの時点での神学遍歴はまだ「だれそれの神学者」と言う事ではなく、神学書の入門としての「神学辞典」だった。今となっては神学辞典を参照するということは余りなくなったが、一般信徒も含めて良い神学辞典を持っていることは助けになると思う。

2012年5月5日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

5月6日 午前10時30分

朗読箇所 ヨハネの福音書 13:1-20
説 教 題 「仕える者の姿」
説 教 者 小嶋崇 牧師

※聖餐式があります。

2012年5月3日木曜日

宗教改革の遺産としての『救いの文化』

「キング・ジーザス・ゴスペル」ブログ更新のご案内です。


《福音の文化》が《救いの文化》に飲み込まれるまで②

KJGの第5章、How Did Salvation Take Over the Gospel?の後半の紹介です。

宗教改革は、一方で「個人」が「救い」に対して責任を持って応答するような枠組みを作るのに多大な貢献をした、と言う積極面がある。
しかし、他方で「個人的救い」への関心集中から「救いの文化」へ移行し、現在しばしば見られるような「浅薄な救いの理解」への道備えをしたことは否めない。

と、マクナイト教授は分析します。

現在北米福音主義キリスト教も、メガチャーチの出現にもかかわらず、主流派(メインライン)教会と共に退潮傾向にあると見られています。
自らの福音主義を見直す段階に来ているのではないか、とマクナイト教授の「キング・ジーザス・ゴスペル」を読みながら感じます。

2012年5月1日火曜日

内村鑑三の遺産

先日当ブログでもご案内した、無教会・駒込キリスト聖書集会での講演会に行ってきた。

主宰する荒井さんとは適当に面識もあり何度かお話したこともある。
何より同じ地域で伝道する者として「福音の前進と無教会」と言う講演会のタイトルに惹かれた。

斯く言う筆者、荒井さんも含め無教会キリスト者の知人は他にもいるので、聖書に対する態度など見習わなければならない点があることは弁えていたが、ついぞ無教会の集会、と言うものには出席したことがなかった。
講演会とは言え、無教会の集会、そういう理由で興味深く出かけた。

「無」教会と言う言葉が醸し出すイメージがどうしても「教会のようなことは一切やらない」と言う感じなので、開会に当たって「普通に」賛美歌を歌い(何と「神はわがやぐら」)、祈祷をし、と言うパターンに多少面食らった。
更に「荒井さん」ではなく「荒井先生」と呼ばれていたことにも多少驚いた。
と言うのも「職制」を否定しているのだろうと思い、無教会の集会で「先生」などと呼ばれるのは特別な存在と勝手に思っていたからである。

無教会の方たちは「お勉強が好き」とは思っていたが、4人もの演者が途中一回の休憩があったとは言え、様々に語るのを主に中高年以上の聴衆がお行儀よく聞き入っているのには驚いた。
当方は椅子の上で散々姿勢を変えながら何とか4人の講演を聞き終えるのでやっとだった。

無教会の集会ではその後「感話会」と言う時間があって、質疑応答の時間を持った。
筆者は「教会」の者として何か短く発言をしてくれ、とその場で頼まれ、何の用意もなく感じたことを二三話させて頂いた。

①(無教会と言うと何かアウトサイダーのような印象だが・・・実際にはこのようには言わなかったが)無教会も同じプロテスタントの宗教改革の遺産を共有すること

②しかし聖礼典(洗礼、聖餐)に対する理解の相違は、やはりちゃんと認識し、聖書に即した理解によって意見の調整をする必要があること(筆者の頭の中には、特に無教会がこれらの礼典を象徴的なもの、外面的なものと取る以上に、必要以上にネガティブに捉える傾向があることを感じた。これは内村鑑三のどちらかと言うとニュートラルな見方よりも、悪しき儀礼主義のように捉える見方と映った。)

③今のような伝道停滞、閉塞状態の日本にあって「無教会」も「教会」も 「福音の前進」のために協力すること、思いを一つにすることが大切ではないか

以上のような趣旨の発言をした。

いやー長い振り替え休日であった。

たまたま休憩の時に建物の外に出た時、散歩中のお隣さんと顔を合わせおしゃべりをしたのだが、大和郷幼稚園の郵便ポストの上にハンカチの木の花が咲いているよ、と教えられた。
それで帰り道幼稚園を通り過ぎる時にポストの上辺りをしげしげと見つめ、何とかハンカチの木の花を確認することが出来た。
帰宅したらもう夕食となった。

と言うわけで一日経った感想なのでちょっとぼやけているかもしれない。