2012年7月30日月曜日

オウム真理教ノート 2012/7/30

今回は、林郁夫の「オウムと私」(文芸春秋、1998年)


500ページ近い本だが、興味深く、読みやすかった。

一種の「懺悔録」のような手記のようになっていて、自分の生い立ちから始めて、オウムでの修行のことや、次第に教団の武装化の中で知らず知らずのうちに犯罪に手を貸していく過程や、その度毎の(後からの回顧で)自分の心理の分析、そしてサリン事件の実行とその後の逮捕、そして取調べでの全面供述までを綴っている。

恐らく全面的に供述した時点から、オウムでの自分がどうだったかを総合的に回顧する視点を得たのだと思う。その視点から、各過程での修行の内容の意義や麻原との関わり合いをより客観的に観察分析できるようになったのだろう。

本を読んでいてその辺の「自己の掘り下げ」がなかなか徹底的で、読む者を納得させる。思わず引き込まれてしまうような箇所が幾つもあった。

その中で二点挙げるとすれば、一つは「麻原の怖さ」に関して書いている箇所と、麻原の宗教家としての二重性(建前と本音)を分析している箇所であった。

先ず、麻原の怖さだが、『池田大作ポア事件』と言うところでこう書いている。

 とはいっても、当時の私は、この事件で麻原が単に「殺人を犯そうとした人物」であるとか、「ポア」が単なる「人殺し」である、などと思っていたわけではありませんでした。それまで培ってきた見方によって、麻原が宗教的な存在であるということには、一点の疑いもありませんでした。麻原の行為はすべて宗教的な意味合いがある、と考えてきたのです。
 しかし、同時に、もっと私自身の根本の意識のところで、麻原の行為を犯罪だとみなし、許されないことだと言うことも分かっていました。それは、麻原の「秘密を知った」と言う自覚と同義なのです。「理屈」としての教義を肯定しても、「人殺し」はあくまでも「人殺し」で、人殺しという行為と結びついている「本能的な恐怖」を打ち消すものではありません。
 本能的恐怖は、それが犯罪だと思う心と、許されることではないと思う心を生じさせるのだと思います。もし私が、麻原のように解脱して、対象のカルマを見通すことができて、「ポア」もしてやれると言うのならば、「ヴァジラヤーナ五仏の法則」とその「ポア」は、「理屈」ではなくなるのですが、私は解脱しているわけではないのです。あくまで、麻原の説く教義を「教え」として、また「理屈」として受け入れているのであり、本能的な恐怖を消すことができないのです。
 麻原が「殺す」ことを「実際に」決断し、実行に移すことのできる人物なのだ、と言う認識を持ったその瞬間から、その麻原と私が自覚している本能的恐怖が結びついて、最早それ以前の麻原に対する感情は戻りませんでした。 そして、自分も妻子もまた「殺される可能性」があると言う、「こわい」麻原に対する感情が、ワークや修行のあらゆる場面における行動パターンに影響を及ぼしていくことになったのだと思います。(176-7ページ)
麻原の宗教家としての二重性については、林は以下のように分析している。
 麻原の本音からすれば、救済とは武装化計画の実行であって、宗教は武装化計画の実行をカモフラージュするものにすぎなかったのだと思います。三万人の成就者を出して、戦いを回避するといっていた平成二年の初期の頃から、このような背景があったことがいまになって分かります。
 つまり、麻原のいう救済は、一人一人を修行(宗教心)によって変化させ、世の中に感化を及ぼし、そのことの連続した積み重ねによって平和を保ち、真理を広め、人類が戦いなどの愚行を犯さないように導くという、通常宗教と結びつけて考えられている救済ではないのです。麻原は言葉「救済」と言ってはいても、実はその裏で武装化を準備し、戦いを起こし、勝ち抜き、社会を転覆させて・・・という、まったく革命そのものの世の中の変革を考え、実行しようとしていたことがわかるのです。
 したがって、麻原の本音としては、救済とは一人一人に宗教性を喚起させて実現していくというものではなく、先ず社会の枠組みを破壊し、自分ひとりがよしとする枠組みに変えたうえで、その麻原の枠組みの中に一人一人を閉じ込め、それでよしとするということだったと考えられます。
 (中略)
 麻原の中では、宗教は自らの本音を達成するために便利なもの、人も金も集めることができ、本音のカモフラージュにも使える看板のようなものだったのだと思います。が、いっぽう弟子にとっては、修行と救済は本来連なって展開する一体不可分のものだったのです。麻原はそれを百も承知のうえで、利用していたと言うことを私は述べたいのです。 (302-3ページ)
新興宗教の無残なところは、林のように社会的経験も立場もある者が、純粋に宗教(仏教、解脱)を求める余り、グルに対して過度に依存的になり、「人間的判断」をモラトリウムさせ、グルの「俗物性」が見えた地点でも、グルの客観的人間性(誤りや罪を犯しうる存在である)認識を徹底することができず、宗教的絶対性の方に収斂されてしまうことのように思った。

林が上記のような分析に達するためには、残念ながら最後の一線を越えて、そして自分の行為を客観的に見直す物理的・精神的余裕を得るまでは出来なかった、と言うことは、「宗教集団の閉鎖性」の問題を提示するものであると思う。
オウムに限ったことではない。

この本に書かれている林の様々な気付きや反省、内省は宗教に関わる者にとって他人事ではない事柄を多く含んでいると思う。

2012年7月28日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

7月29日 午前10時30分

朗読箇所 ガラテヤ人への手紙 6:1-10
説 教 題 「自分の重荷」
説 教 者 小嶋崇 牧師


《講解メモ》
パウロ書簡の学び(87)
ガラテヤ人への手紙(75)
・6:1-10 御霊によって歩む兄弟姉妹
(A) 6:1-5 重荷を負いあう 
(B) 6:6-10 善を行なう

2012年7月24日火曜日

信仰・悔い改め・洗礼

「キング・ジーザス・ゴスペル」ブログ更新のご案内です。
 
KJGの第8章、The Gospel of Peterの後半をさらっと紹介しています。(ここをクリック


20世紀後半、大衆伝道者ビリー・グラハムの福音クルセードで用いられた「信仰決心に導く祈り」や、大学生伝道団体キャンパス・クルセードによって用いられた「四つの法則」 が使徒的福音の提示の枠組みとは違ってきたことを「救いの文化」と言う概念で分析してきたマクナイトだが、この8章では「使徒的福音」のフレームとして「イエスのストーリーがイスラエルのストーリーを完結する」のが異邦人伝道においてはどのようになされたのか、パウロの伝道説教を分析している。


また「福音」に応答するとはどう言うことか、使徒行伝の記述からそのエッセンスを「信仰・悔い改め・洗礼」としてまとめている。
特に注意が必要なのは、現代パラチャーチによる福音伝道が「クルセード」や「伝道集会」と言う風に「教会」とは離れた形で行なわれることによって生じた「信仰の決断」と「洗礼」の分離の問題を提起する分析を含んでいる。

簡単に言えば、クルセードで信じた人はそれで「救われた」ことになり、「教会」や「洗礼」は付加的なものになってしまう危険である。
この問題をテルフォード・ワークがよくまとめている。(Reordering Salvation

2012年7月23日月曜日

オウム真理教ノート 2012/7/23

現在図書館から借りているオウム関連の書籍は2冊。

まず紹介しておくとシステマティックに「オウム真理教」を扱っているのが情報時代のオウム真理教
一応最初の2章と、あと関心ありそうな部分をつまみ食い的に読んだ。情報的には結構詰まっていそうなんだけど、読んでいくと物足りない感じがする。

この本のデパートメント的な内容はここで目次を見ると分かります。

もう一つは森達也のAと言うドキュメンタリー映画を製作した時の経過を綴った本でそのタイトルもやはり『A』。

これは面白かった。

地下鉄サリン事件後の段階で「オウム=殺人教団」のような既成概念で報道がなされていた時、そのような枠組みを取っ払って、「信者の日常」をドキュメントしようと思いついたのは森達也が最初だったと言う。

どのようにドキュメントするか、森がその対象のキーパーソンとしたのは、当時オウムの広報部副部長だった荒木浩。
森は彼こそが(上祐と比較して)教団と社会との接点を繋ぐ言語を模索するコミュニケーターと見立てたのだった。

森自身も自分の主観で「信者の日常」を切り取る視点をもがきながら試行錯誤するわけだが、その「繋ぎ役」としての焦燥や苦悩が荒木と重なるのだった。

対象との適度な距離感を模索しながら森はオウムの信者を追う。越えられない壁、伝えきれないオウム信者の日常を感じながらも、対象に迫ろうとするドキュメンタリー監督の懊悩が読んでて伝わってくる。

「オウムを理解する」と言うことは果たしてできるのだろうか。
信者が言うようにオウムの宗教体験を、修行を、すれば見えてくるものがあるのだろうか。

「了解可能性」と言う問題を頭の隅で考えながらとにかく被写体に迫る。
森の発見の一つは「情」を共有する人間同士と言うことがあった。
しかし撮る方と撮られる方の緊張関係を放棄するわけではない。

読んだ中で少しメモした箇所は、荒木のオウム入信のきっかけについて。
荒木の大学(京都)に講演に来た麻原が荒木の目に、「・・・どんな意地悪な質問にも尊師は逃げないんですよ。きちんと正面から答えていて、ああこの人は本物かもしれないと思ったんです」と映ったのだと言う。(96ページ)

また、「破防法弁明で麻原の陳述に立会人として参加した浅野教授の話では、最後に発言を求められた麻原が、公安調査庁受命職員に向かって、『破防法を適用しなさい。しかしオウム以外の団体には今後絶対適用しないで欲しい』と述べた」と言う下り。(104ページ)

それと(森が考えた)「しかし、残された信者、逮捕された信者が、今もオウムにこだわり続ける理由は解かなくてはならない。理由はきっとあるはずだ。・・・彼らが今もオウムに留まり続ける理由、そのメカニズムは、オウムの内ではなく、オウムの外、すなわち僕らの社会の中にある。」(113ページ)

と、こんなところか・・・。

森も感じているがオウムと(メディアを通して)それに対峙する(日本)社会は、「合わせ鏡」のようなものではないのか、と言うこと。
一方で宗教組織の中で思考停止して「自分の言葉」を失っている信者たち。
しかしもう一方でテロ事件に対して苛立って思考停止して同様の報道を繰り返すマス・メディア。
思考停止で共通する二者。

先日の加藤周一の分析ではないが、オウムは(第二次大戦)戦時中の皇国日本の戯画、にも通底するかもしれない。

「オウム真理教を巡る冒険」はまだまだだ。


2012年7月21日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

7月22日 午前10時30分

朗読箇所 ガラテヤ人への手紙 6:1-10
説 教 題 「自己を吟味する」
説 教 者 小嶋崇 牧師


《講解メモ》
パウロ書簡の学び(86)
ガラテヤ人への手紙(74)
・6:1-10 御霊によって歩む兄弟姉妹
(A) 6:1-5 重荷を負いあう 
(B) 6:6-10 善を行なう

2012年7月19日木曜日

香山リカ発言

先日の代々木公園での「反原発集会」での香山リカ氏の発言が色々取りざたされている。

原発推進派を精神科医として「心の病気」と発言したことにほぼ非難・批判が集中している。

当日の香山リカ氏のスピーチ全体を書き起こしたものをここで読むことができる。

肝心の場所はこう言う文脈での発言となっている。
去年3月11日、大震災のあと、福島第一原発であの事故が起きたときには
私たちはみんな、そのときは気づいたはずです。
私たちは持ってはいけない発電所を、原子力発電所を持ってしまった。
これは大変な失敗をした。これはただちに、この原子力発電から私たちは卒業して、二度とこのような事故を起こしてはいけないということに気付いたはずなんです。
ところが、それからわずか一年あまりしか経たないのに、それこそ、舌の根も乾かないうちに、もう再稼働。
(中略)
原発維持や推進をしようとする人たちは、
私、精神科医からみると、心の病気に罹っている人たちに思えます。
(そうだそうだ、と会場からひときわ大きな拍手)

しかも、この人たちの病気は残念ながらもう簡単には治りそうにもありませんが、私たちはそれでもその人たちに対して、なんとか声をあげていかなければいけない。
そんな、心が病気に罹っているような、そういう状態で原発再稼働などと叫んでいる人たちに、私たちの命や生活や未来が奪われるようなことはあってはならないという風に思います。
(拍手)
10万人(以上?)が集まったとされる集会で登壇しスピーチする人にはどんな期待がかけられているか、それは初めからはっきりしている。
問題は自分の立ち位置や専門性からどんな発言が出来るかだ。

香山リカ氏はこの時「精神科医」として自分の反原発発言を補強しようとしたのだろう。
果たしてこのような事態に立ち至っても「原発再稼動」をしゃにむに進めようとする人たちは精神科と言う「専門分野」からの見立てとして「病気」に相当するのかどうか。「病理的側面」が見られるのかどうか。その具体的な見立て、あるいは分析とその根拠は発言の中に入っていない。

香山リカ氏が他の言論人や同業者から批判を浴びているのは、この一方的な発言の故ではないかと思う。

ただ「心の病気」と言う表現の妥当性はさておき、(潜在的)大多数の国民の反原発感情を知りながら原発再稼動を急ぐ「推進派」が病理的側面を持っているかどうかは検討されてもよろしいのではないかと思う。

香山リカ氏はこの時の「言論」で大顰蹙を買ってしまったようだが、問題は「原発」の今後について国民がどの程度関与できるのか、だろう。

首相官邸前で継続されるデモ行進は「もっとしっかり国民の声を聞け」と言う主張ではないか。

今のところ現政府が「原発」に関し「しっかり国民の声を聞こうとしている」風には見えない。

やはり「声をあげる」事は今大事なことであるように思う。




2012年7月16日月曜日

オウム真理教ノート、2012/7/16

筆者の関心がオウム真理教にかかり始めたのは、「オウム真理教への一視点」でも書いたように、NHK番組『未解決事件2:オウム真理教』を見たことにある。
特に「サリンガス製造」の目標が「70億人を殺戮できる量、70トン」と紹介されていたことに衝撃を受けたことである。

オウムの教義が折衷主義で、荒唐無稽で、と言うことは大方の人がそう感じるだろう。
ただその教義内容がどんなものだったかと言うことを別にしても、サリンガス散布を実行し、実際に12人を殺害し、何千人もの重軽傷者を出したと言う事実は見過ごしに出来ない凶行であった。

事件から17年たまたま特別指名手配中の残り2名が逮捕され、また少しオウム真理教へ関心が集まっているようだ。
筆者も言ってみれば野次馬的回顧者の一人に過ぎないだろう。

でも17年前と違って今回は「弱小宗教教団」が「終末(ハルマゲドン)シナリオ」を現実化しようとした過程を何とか理解の射程に取り込みたい気持ちが強くなったのである。

17年前は事件に驚愕するだけで、殆んど究明したい気持ちは出てこなかったが、今更ながらだが「その気になった」わけである。

図書館から借りてきた、鷲巣力編「加藤周一自選集第十巻(1999-2008)」(岩波書店、2010年)に、『オウム真理教遠聞』(1999年)と『「オウム」と科学技術者』(2004年)と言う二つの文章が収められている。

『オウム真理教遠聞』には次のような疑問が投げかけられている。
①オウム真理教の教義と大量殺人の行為との関係
②信者の中の科学技術者たちがなぜ「非合理的な指導者に帰依したのか」
③オウム教団は孤立した現象なのか、それとも世界に類例のあるものなのか

加藤は自らの「科学的合理性」の限界と「宗教的精神現象」が科学から独立した現象であるとの観点から疑問点を整理しているが、とりわけロバート・リフトンの『終末と救済の幻想ーオウム真理教とは何か』 (岩波書店、2000年)を参照しながら思索を進めている。

リフトンはオウム現象を「マンソン一家」(1969年)や「人民寺院」(1978年)や「天国の門」(1997年)に比較対照されうる、と見ている。
しかし加藤はオウム現象は「1930年代から1940年代にかけての日本の狂信的軍国主義の戯画化」として比較対照する。

加藤の関心は科学的な思考や合理的思考を投げ打って狂信的な妄説(神風による米国爆撃機墜落、グールーの空中浮揚)を受け入れる条件とはどんなものか、と言うことに向けられる。
①科学技術の目的を定めるのに「実証的接近法や論理的思考」が通用するとは限らない。
②科学によって実証的に得られる知識外のことには「非科学的命題を受け入れて、先へ進むほかない。」
③科学技術の専門化により専門外のことに対する「理解への努力の放棄」、「合理的思考と実証的態度の忘却」が習慣化する。「科学技術の時代は、必然的に『オカルト』『超能力』『UFO』の流行する時代である。」

『「オウム」と科学技術者』でも加藤の論考の矛先はオウムを戯画・縮図として見る国家レベルの非合理的行為遂行に取り込まれる科学技術者の問題である。
東アジア全域への国家神道の強制、ヨーロッパ全土からのユダヤ人の一掃、全知全能とされる独裁者の下での一国社会主義建設、そしていくら探しても見つからぬ大量破壊兵器の脅威を除くためのイラク征伐・・・・・・。
このような「集団の非合理性と科学技術の合理性」とは同関係するのか。
①集団の側は目的遂行のため科学技術者を必要とする。
②科学技術者の側は合理的思考の「専門化」と「個室化」。「研究の究極の目的は専門領域外にあるから、それがどれほどばかげたものであっても、それを合理的な立場から批判することがない。」

このような関係の上にオウム事件は成立した、と加藤は見る。
再発を防ぐためには、「合理性の個室と非合理な信念の個室との障壁をとり払えばよい。そのためには科学的個室で養われた合理的思考を、いつどこでも徹底的に貫くほかないだろう。」

これら加藤の論考は「国家による馬鹿げた蛮行に知らず知らずのうちに科学技術者が取り込まれる危険」に対する警鐘と対策ではある。

しかし、「オウム真理教」のようなカルト的宗教団体が発生してくる社会的土壌に対してはどうだろうか。
そこには加藤が指摘しているように、「科学技術の時代は、必然的に『オカルト』『超能力』『UFO』の流行する時代である。」という状況がある。

なかなか難しい時代である。




2012年7月15日日曜日

加藤周一のカトリック洗礼

今回加藤周一のカトリック洗礼について書くのはたまたまである。

読者の方はお気付きのように最近筆者の関心が集中しているのはオウム真理教についてである。
先ずは安上がりな資料集めとして豊島区の図書館に所蔵してあるオウム真理教関連の書物を探索していた。

その中に鷲巣力編集の「加藤周一自選集第十巻(1999-2008)」(岩波書店、2010年)があり、『オウム真理教遠聞』(1999年)と『「オウム」と科学技術者』(2004年)の二つの短い論考が収められていたのである。

わざわざこれらの二つの文章のために、とも思ったが加藤周一の著作に長らく親しんできた縁もあり借りてくることにした。

ところが巻末に編集の鷲巣力がかなりのページ数を割いて加藤周一のカトリック洗礼に関する経緯と推察を書いているのを読み、改めて加藤がなぜカトリックの洗礼を受けたのか、と言うことを考えてみたいと思ったのである。

筆者は既に「洗礼について」で加藤の洗礼について思い巡らしたことを短く書いた。
こんなことを考えていて、2008年12月に亡くなった加藤周一が、生前死の数ヶ月前にカトリックの洗礼を受けていたことを思い出した。

加藤周一の書いたものからは、およそ想像もつかないことだったが、確かに洗礼を受けたと言う事実から推察するに、老境の思想の変化があったのかも知れない、と考えたりもした。

思想的整合性の点からは、加藤は不可知論で徹底していたのではなかったか。

しかし誰にでも「信仰の飛躍」の機会はいつ訪れるか分からない。
加藤にもそう言う時が訪れたのかもしれない、とも考えてみた。
これを書いた当時はただ想像するだけで推量する資料が殆んどなかった(ちゃんと探したわけではなかった)。

今回鷲巣が書いた文章の中にこういうくだりがある。
2008年8月14日、夜遅くに加藤から私(鷲巣)あてに電話が入り、おおよそ次のようなことを述べた。「宇宙には果てがあり、その先がどうなっているかはだれにも分からない。神はいるかもしれないし、いないかもしれない。私は無宗教者であるが、妥協主義でもあるし、懐疑主義でもあるし、相対主義でもある。母はカトリックだったし、妹もカトリックである。葬儀は死んだ人のためのものではなく、生きている人のためのものである。(私が無宗教ではーー引用者補足)妹たちも困るだろうから、カトリックでいいと思う。私はもう「幽霊」なんです。でも化けて出たりはしませんよ。」(488-489ページ)
これをうけて鷲巣は次のように綴る。
加藤は「死」を覚悟した。そしてカトリックに入信する意思とその理由を明らかにした、と私(鷲巣)は受けとめた。上野毛教会に入信の意思を伝え、8月19日に加藤は受洗した。 (489ページ)
ところでなぜ加藤がカトリックの洗礼を受けたのかについての鷲巣の推察は以下のようになっている。
あえて批判を恐れずに述べる。加藤の思考に沿えば、帰依するのは必ずしもカトリックでなくても良かったに違いない。論理的斉合性を持ち、超越性を指向し、「ギャップを埋める」ものであれば、カトリックであろうと、浄土教であろうと、よかったのだ。複数の選択肢からカトリックを選んだ理由は、母も妹もカトリックであると言う条件である。「妹も困るだろう」と妹のことを心配した結果だと思われる。つまりは「家族愛」を考慮したのである。 (492ページ)
さて筆者が感じたことを述べるが、鷲巣のところにかかってきた電話で加藤が述べた内容の要約に従えば、やはりカトリック洗礼の一番の契機は「死期が迫ったこと、即ち葬儀をどうするか」と言うことに尽きるのではないだろうか。

加藤自体の思想にはどうやらさしたる変化は見られない。
不可知論であり、不可知なものに対して、特に宗教に関して基本的にどの宗教も取らない。
無宗教者。
しかしそれゆえ「神の存在」(死期に及んでは死後のいのち)に関しては「妥協主義」の態度も、「懐疑主義」の態度も、「相対主義」の態度も取れる。

鷲巣に対してそのような自己の精神性(の不変)を説明した上で、あえて死(葬儀)への準備として「宗教」の選択を語る。
「葬儀は死んだ人のためのものではなく、生きている人のためのものである。妹たちも困るだろうから、カトリックでいい」

カトリックの「選択」は加藤が「様々な宗教の選択肢」を考えたからではないだろう。
葬儀を営む家族(妹)を配慮した結果なのだ。

筆者としては加藤にもう少し積極的な洗礼への契機が、信仰の内在的な動機が、あったらばと思うのだが、どうやら事情は違っていた。

加藤の洗礼の申し出を受け入れたカトリック教会側との間にどんな会話があったかは知らない。
しかし受洗5日前の電話の内容からは、加藤の態度は決まっていた。
受洗にあたってのカテキズム(があったはずだろう)に対して加藤は相対的な姿勢を変えたとは思えない。

8月19日の洗礼に当たっての加藤の「信仰」は少なくとも「回心」ではなかっただろう。

2012年7月14日土曜日

聖書的『福音』観ー二派に分離?

「ユーアンゲリオン」ブログでマイケル・バードがそのように観察している。

Darrell Bock on the Non-Pauline gospel of the Speeches in Acts

英国アバディーン大学で長らく教鞭を取った福音派を代表する新約聖書学者、ハワード・マーシャルの記念論文集に、『福音書以前の福音ー福音ナレーティブ説教の中核』と題する論文を寄稿したダラス神学校のダレル・ボック教授が使徒行伝での福音説教を分析しながら、「キング・ジーザス・ゴスペル」のスコット・マクナイトと同様な見解を展開しているようだ。

マイケル・バードはボック教授のような「福音」理解は、福音主義の中に「福音」の基本的な理解について二つの異なり対立する構図が出てきているのではないかと指摘している。

① the Paul-justification-forensic view (e.g., Dave Gilbert, What is the Gospel?)
② the Gospel narrative-Lord Jesus-multiple-salvation-images approach (e.g., Tom Wright, Scot McKnight, John Dickson, Darrell Bock)

マイケル・バードは歴史的に見て、これまでパウロ書簡(ロマ書、ガラテヤ書等)から引き出された①の「福音」観が、②の「福音」観を覆い隠してきたのではないかと指摘している。

筆者はスコット・マクナイトの「キング・ジーザス・ゴスペル」を別ブログで解説している手前、このマイケル・バードの指摘が興味深かった。

聖書学の流れが②の探求にこれから更に向かっていくのではないか、と期待している。

明日の礼拝案内

主日礼拝

7月15日 午前10時30分

朗読箇所 ガラテヤ人への手紙 6:1-10
説 教 題 「相互負担と自己欺瞞」
説 教 者 小嶋崇 牧師


《講解メモ》
パウロ書簡の学び(85)
ガラテヤ人への手紙(73)
・6:1-10 御霊によって歩む兄弟姉妹
(A) 6:1-5 重荷を負いあう 
(B) 6:6-10 善を行なう

2012年7月10日火曜日

オウム真理教その③

一先ず記事のタイトルは「オウム真理教その③」とした。

目下少しずつオウム真理教関連のものを図書館から探して読んでいます。そんな読書の「覚書」程度のものを時々掲載していこうかなと思っています。
それで適当なタイトルはないかな・・・と今考えているのですが。

オウム真理教覚書
オウム真理教ノート
オウム真理教雑感

それで記入日時を入れてタイトルにすると、例えば今日だと「オウム真理教ノート、2012/7/10」みたいになるのだけどちょっと長ったらしいかなー。
短縮して「オウム、2012/7/10」でもいいか。

「オウム真理教その②」で中島岳志が紹介した、宮台真司「終わりなき日常を生きろ」 (1998年)は図書館にはなかった。
しょうがないので同著者の似たようなタイトルの本「世紀末の作法ー終ワリナキ日常ヲ生キル知恵」 (1997年)を借りてきた。

この本、雑誌や新聞などに書いた短い文章を寄せ集めたものなんですね。一応目を通しましたが、オウムについて直接書いてあるところは少なくて、ちょちょっと言及してあったりする。

中島の要約だと、
「宮台曰く、ハルマゲドンのような大きな変革など、もうやってこない。大切なのは永遠に輝きを失った世界の中で、パッとしない自己を抱えながら、腐らずに まったりと生きていくスキルである。輝かしい未来への幻想を捨て、終わりなき日常を戯れながら生きる知恵こそが必要とされる、と。」
とあるように、要するに《今の》リアリティーは「終わりなき日常」であるから、それにマッチした生き方を探さなければならない。
オウムのような「革命思想」や「終末思想」は今や時代錯誤、リアリティーとミスマッチ、みたいなことを主張していたようですね。

借りてきた本の中に『宗教が大きいのか、社会が大きいのか?』という一文がありました。

近代ヨーロッパで数々の宗教戦争を経過して樹立された『寛容の精神』や政教分離の「市民社会」の原理が一応日本にも明治近代化で導入されたが、もともと宗教が習合して「殺戮」を繰り広げなかった社会には「オウム事件」が起きるまで、「宗教が大きいのか、社会が大きいのか?」を深刻に問う背景がなかった、と宮台先生は仰る。

だから「オウム事件」から学ぶべきは「宗教が潜在的にもつ危険性について」の日本人のウブさを克服するための方法だ、と言うことだそうです。

と言うわけで宮台先生によれば、オウム真理教事件から私たち日本人がよくよく学ぶべきことは、「宗教」って潜在的にとんでもない暴力を発揮するような危険性を孕んでいるんだよ、と言うことのようです。


(※宮台先生の「終わりなき日常」も何か時代の空気を読むような社会学的分析で、筆者は余りピンと来ないな。キャッチコピーみたいで賞味期限のありそうな表現だ。)

2012年7月9日月曜日

ツールレーキ強制収容所

筆者の米国遊学時代、1982-1989年は加(カリフォルニア)州にいた。
現地の日系人教会(East Bay Free Methodist Church)に通っていたが、当時の一世の方々の年齢は70歳代から90歳代だった。

一世と言うのは戦前にアメリカに移民した方々で、広島や鹿児島など南の方の県からの方が多かった。
とにかく大変な苦労をして生きてこられた方々と言うことで教会の中でひときわ大事にされていた。

そんな苦労話の中で強制収容所の話も出てきた。具体的な話は余り聞けなかったが、収容所内の食堂が「メス・ホール」と言われていたことなど、初めて聞く語として覚えている。

日本人の移民とその子孫、日系アメリカ人二世、三世が第二次大戦中、アメリカ西部の州の砂漠地帯に作られたキャンプに強制収容されたことは一世にとっての苦労話の中でもひときわ重いものであったのだろう。その時の心の深くに刻まれた感情まではなかなか聞けなかった。

ただキャンプの場所として幾つか聞いた中に「ツールレーキ(一世たちの発音と表記はこのようだった)」があった。
Tulelake強制収容所は10あったキャンプの中でも一番厳重に警戒された収容所であった・・・ということをこのニュー・ヨーク・タイムズ記事で知った。

収容された日系アメリカ人のうちすべての成人に対し、アメリカ軍に通訳として雇用する条件として「忠誠度」を試す質問がなされたのだと言う。
Question No. 27 asked draft-age men whether they were willing to serve in the armed forces. No. 28 asked whether detainees would “swear unqualified allegiance to the United States” and “forswear any form of allegiance or obedience to the Japanese emperor, or any other foreign government.”
この質問にどう答えるかで家族に分裂が起きたりしたのだと言う。
そして忠誠度の低い者達がツールレーキ収容所に移送されたのだと言う。

今、この記事が書いているように、「強制収容所の意味」を問うための現地を訪れる旅が二年に一度行われていると言う。

当時一世たちと暫くの間親しくさせていただいた者として、この記事には色々感ずることが多かった。

2012年7月8日日曜日

伝道メッセージ

「キング・ジーザス・ゴスペル」ブログ更新のご案内です。
 
KJGの第8章、The Gospel of Peterの前半をさらっと紹介しています。(ここをクリック


筆者の仕える教会は昔々「伝道会」と言うものを日曜日の夕7時から持っていた。
強調点は「伝道」なのだが、一時期教会に「キリスト教」を求めて「求道者」がよく来ていた頃は別にして、礼拝とは違うメッセージと賛美歌(当方の教会が使う讃美歌では「リバイパル聖歌」と呼ばれていた)を柱にした集会だった。

筆者が大学生の時ある晩の伝道会で「まだ救われていない者」は「天国」と「地獄」の分岐点にいるようなものだ、と語られその晩「イエスを自分の罪のための救い主」と信じて「救われた」のだった。

さて振り返ってみて、その晩の説教は「キング・ジーザス・ゴスペル」で言われるところの「救いの文化」でなされるようなものだったことはよく認識できる。

しかしマクナイト教授が言うように、このような「伝道メッセージ」は確かに聖書的「福音」から見れば大分短絡した歪んだものには違いない。
しかしだからと言って筆者はこの時の体験を「救い」ではなかったとは言わない。
依然としてこの時の体験が筆者個人にとって「福音」に触れ、イエス・キリストを信じたものだった。

ただその後のキリスト者人生から学習した事柄によって、福音体験の不十分さは認識できるようになった。

今回の記事では「使徒の働き」に散見するペテロの説教がⅠコリント15章3-28節の「福音」観から分析されていることを紹介している。
「福音の文化」で「救いを体験した」方々には是非注意して読んで頂けたらと思う。

2012年7月7日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

7月8日 午前10時30分

朗読箇所 使徒の働き 3:11-26
説 教 題 「神の宣教」
説 教 者 小嶋崇 牧師

《説教シリーズ》「遣わされて」⑥

※昼食会があります。

2012年7月3日火曜日

ブログ開設二周年

去年も「ブログ開設一周年」と言う記事を投稿した。
今年も過ぎし一年を振り返ってみたい。

一年目、二年目、と投稿数は確実に減少傾向にある。
内容は、と言うとだんだん短くなってきているような気がする。

今年に入り、「キング・ジーザス・ゴスペル」ブログへの記事と、フェイスブック上のN.T.ライトの「How God Became King読書会」進行役が新たに加わり、こちらのブログが手薄になってきてしまった。
現在少々アップアップの状態。
どれも中途半端になりかけている。
「二兎を追う者一兎も得ず」、ではないがちょっと手を広げ過ぎてしまった感じだ。

さて軽く数字でのまとめをしておこう。

①総ページビュー・・・55,400を越えたところ。
この一年で33,800増えたわけだ。
月平均で2,800余、日平均94弱はどうなんだろう。
ただ最近は減少傾向。投稿数が減っているからねー。

②人気投稿
一位『北川東子(さきこ)と教養』がダントツで総ページビュー数1,580となっている。
二位の『牧師と言う職業』の総ページビュー数は841だ。
『北川東子と教養』は教会のブログには余り縁のないトピックなのだが、ツイッターでリツイートされた影響でここまで数字が伸びたようだ。

さあ、また新たな一年が始まるわけだが、意気込みはすこぶる低い。
あまり肩に力を入れて・・・どころの話ではない。
何とか存続していけるよう、青息吐息でも粘り強く行こう。

2012年7月2日月曜日

オウム真理教その②

先日「オウム真理教への一視点」と題して一文書いた。


オウムについての著書を一冊紹介するのと、NHKによるドキュメンタリー構成された「オウム真理教問題」を振り返る番組を引き金にして書いた。

(※筆者の住む豊島区の図書館には紹介した本がないのでまだその本は読めていない。
その間に久保木牧師のブログでその本の読書感想が紹介されている。先を越されてしまった。)

事件から16-7年経って特別指名手配容疑者が次々逮捕され、一応の区切りが付いたところで事件を改めて振り返る動きが少し出ている。
筆者も改めて「オウム真理教」とは何だったのか、考え始めている。

そんな折、7/1朝日の朝刊の『ニュースの本棚』で中島岳志による「一から読むオウム」と題した書評文が出ていた。
「オウム」に対するこちらの感覚が少しずつ先鋭になりつつあるところだったので興味を持って読んだ。
オウムに関する本を幾つか紹介してくれたのは有難いのだが、内容的にもう一つぐっと掴むものがなかったような気がする。

取り上げられた本を順に紹介すると、

森達也「A3(エースリー)」 (2010年)
サリン事件の原因を麻原個人の特質に求める傾向に対し、森は麻原に従った「弟子たちの暴走に着目する」。「森は麻原を免罪しているのではない。麻原に罪を還元することで、オウムを他者化してしまうことを恐れるのだ。」

島田裕己「オウム なぜ宗教はテロリズムを生んだのか」 (2001年)
「島田が言うように、オウム事件は日本社会に生きながら、社会の在り方に違和感を持つ人間の無意識の願望を象徴するものだった。しかし、それがなぜ殺人という暴力に行きついたのか。プロセスは理解できても、その構造は不明瞭だ。」

宮台真司「終わりなき日常を生きろ」 (1998年)
「宮台曰く、ハルマゲドンのような大きな変革など、もうやってこない。大切なのは永遠に輝きを失った世界の中で、パッとしない自己を抱えながら、腐らずにまったりと生きていくスキルである。輝かしい未来への幻想を捨て、終わりなき日常を戯れながら生きる知恵こそが必要とされる、と。」

この他にも簡単な紹介つきだけの本が三冊ほど紹介されているが省略する。

中島の感じではこれらの本はそれなりにオウム事件を解析する示唆を与えてくれるが、(中島にとって最も関心の高い、そして筆者の関心とも重なる)なぜ殺人にまで至ったかの構造的解明は与えられていないようだ。

オウムを生んだ(宮台が指摘した)社会的空気は依然としてある。オウム事件は更に追及されなければならない。「オウムは未決のまま、漂流している。、しかし、事件は風化し、忘却の淵に追いやられる。私たちは、もう一度、オウムと向き合う必要があるだろう。」、と中島は結んでいる。

かつてハンナ・アーレントは「アイヒマン裁判」から『悪の陳腐さ』と言う観察を報告した。
オウム事件はまだその「悪の正体」を見据えようとするところまで解明の射程は届いていないように感ずる。

疑問に思う側が納得できるような「サリン等による『大量殺戮』を意図し、実行した者たちの意思」を論理的、構造的に解明しきることは期待できるのかどうか分からない。
しかしどこまで出来るかは別にしてそれはなされなければならないだろう。