2013年7月8日月曜日

(1)「カトリックと聖書」①

難易度ランキング」導入後5番目の記事です。

『信仰年』ーー聖書を取り戻した公会議 
とのインターアクションに入る前に、そもそもなぜこの文章と出会ったのか、について書いておこう。

筆者はカトリック大司教区の「東京教区ニュース」(リンク)をたまに覗くことはあっても、別に紙媒体で購読しているわけではない。

実は知人にカトリックの教会員がいて、東京教区ニュースや、その他カトリック教会の印刷物(週報、チラシ、etc.)を、何かで会う時にくださったり、そうでなくても近くを通りかかった時に、ポストにさりげなく入れておいたりしてくれるのだ。

そんな習慣は大分前から続いていて、プロテスタントの牧師である筆者が、通常であればカトリック教会の動向については疎いはずであるのだが、カトリック教会について幾らか明るいのはそのためである。

そんなことで、ネメシェギ神父の講演会に一緒に行ったり、カトリックの神父が書く文章に感銘を受けたりするのであろう。

そういう意味で知人による「カトリック啓蒙活動」の功績は大きいと言える。

先日、6月23日午後、御茶ノ水のCLC書店で持たれた「福音の再発見」出版記念トークイベントに、忙しい中この知人が友人を伴って参加してくれた。

その時例によってカトリック関連の印刷物をまとめてドサッとくださった。

その後しばらく忙しかったのでそれらの印刷物はバッグに入ったままであった。


ようやく少し暇になったので(失礼!)、その印刷物の中から先ず「東京教区ニュース」を取り出して読み出した。

すぐ『信仰年』ーー聖書を取り戻した公会議が面白い、と思った。(何が「面白かったか」についてはこの後の記事をお待ちください。)

とにかくなぜこの文章と出会ったのか、について言えば殆んど「偶然」なのである。

そのまま読まずにいたかもしれない。
もし『信仰年』の別な記事だったら余り興味を惹かなかったかもしれない。

いや偶然で済ますのは乱暴か・・・。

その6月23日のトークイベントに、「『信仰年』ーー聖書を取り戻した公会議」の掲載された最新号である「東京教区ニュース」6月号を持ってくることは、やはり何かの縁なのであろう。(キリスト者的には「神の配剤」とでも言っておけばいいものを・・・。)

更に付け足せば、確かにたまたま目を通して興味を惹いた「『信仰年』ーー聖書を取り戻した公会議」を何かの脈絡でブログで言及することはあったかもしれない。

しかし「全文引用のための掲載許可」を得るために、この文章を書いた「真生会館研究員・同機関誌Vital編集長」の世古淳さんと連絡を取ろうと思いつかなかったら、果たしてこのような運びになっていただろうか・・・。

文章と出会っただけでなく、それを書いた人と出会わなかったら(今のところまだメールを通してであるが)、この「カトリックと聖書」シリーズは生まれていなかっただろう。

※気を揉ませてすみません。ようやく次回から本題に入ります。  

 

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