2013年7月20日土曜日

(1)国政選挙に「参加する」

最近選挙に行くのを悩ましく感じることが多い。

誰に投票していいか分かりにくいと言うことがある。

何しろ与党と野党がはっきり分かれていた頃は、善しにつけ悪しきにつけ、「どっちにするか」は選択肢の問題としては単純で難しくなかった。

しかし細川政権以降だろうか、政権再編がどんどん進み、最早昔の与党と野党の違いは殆んど意味をなさなくなったくらい、政治の構図が崩れてしまった。

まーこれはごく素人の悩みで、わざわざブログに取上げるほどのことでもないのだけど。

改めて「国民主権」のもとでの「民主主義」とその実現方法としての「代議員制民主主義」を考えてみる。そして「二院制」と「内閣」のことも考えてみる。

(そんな大それた事ではなく、ただ現下の民主主義体制の条件を羅列しただけだ。)

最も悩ましいのは何だろう。

それは「国民主権」と言いながら、例えば多くの国民が関心を持っている「原発問題」に対して国民の意思を反映させる制度的な手続きが殆んど与えられない、と言うことだ。

直接デモに訴えて、と言うこともあるが、日本の周りの国々ではデモが一定か、それ以上の成果を獲得しているのと比較すると、日本ではなぜかそれが直接国政に反映することがない。

もちろん「制度的には」複数政党が国政選挙の争点に取上げた先の衆議院選挙があったが、見事に討論未成熟のまま争点は崩壊し、今回の参院選ではかなり後退している。

原発(再稼動か否か)を問うだけでは不十分だ。
エネルギー政策を含め、国の経済の基本的あり方を問わなければならないと思うからだ。

核廃棄物と言う超危険物をどのように扱うのか。
「使用済み核燃料リサイクル処理システム」は最早破綻していないのか。
その厳然たる認識を今のうちにしておかなければ、子々孫々に多大な負の遺産としてこの問題を丸投げしてしまう「無責任」を今の有権者はしてしまうことにならないか。

しかし、そこまでのシナリオを具体的に描いて政治的選択肢を提供してくれる政党はあるだろうか。
何も専門家を集めて「最も経済効率が良く、しかも現実的な原発政策」を検討してくれ、と言っているのではない。

「使用済み核燃料リサイクル」問題を深刻に受け止めた、原発に対し「今」できる「長期的・総合的で、最も高度な価値判断・倫理的判断」を下す「意思決定手続き」を整備して欲しいのである。

それが見えないうちは、数多の近未来的政治選択肢は「その場しのぎ」の問題に見えてしまうのだ。
(確かに国の巨大赤字、年金問題、広がる経済格差、なとなど待った無しの問題は幾多もあるが、それはもっと長期的な国のあり方が決まってこなければ、場当たり的に処理されていく危険が高いと思う。)

最近の地方選挙では投票率の低さが問題になっている。
せっかく市民が立ち上がって政治に参加しようとしても、小平市の道路問題にしても、投票率の低さを理由に開票されず、「投票に参加した人の意思」は明らかにされないままにされた。

はたしてこれが「国民主権の民主主義」と言えるのか。

何はともあれ、「投票」だけでは「国政参加」は不満足な結果しか得られないだろう。
だからと言って「投票」にさえ参加しなければ、「国民主権の民主主義」の選択肢はもっと狭くなっていくではないかと危惧する。

今回の参議院選挙に投票しても「政治は余り変わらない」かもしれない。
しかし「投票」は「大衆民主主義」のせめてもの生命線である。

この権利さえ確保するには相当の戦いを必要としてきたわけだから(民主主義新興国の状況はメディアでよく目にしているではないか)、安直にそれを放棄してはならないだろう。

さて明日の投票。
「誰」に投票するのか・・・人柄か、年齢か、性別か、政策か、政党か、口コミやコネか。
どの「政党」に投票するのか・・・多数派形成力か、政策か、ブレなさ加減か。
「政治力学バランス」を計算して投票するのか・・・自民独裁阻止、少数政党の存在価値、

考えることは色々あるが、まずは投票に行こう。
投票に参加しながら、「今の政治に欠けているものを考え、次の政治に期待すべきものを考えよう。」

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