2013年11月25日月曜日

召天者記念礼拝

最近更新が減っているので、簡単ながら今月の過ぎし事柄を幾つかメモ風に書きつけておこう。

2013年11月3日
召天者記念礼拝

巣鴨聖泉キリスト教会(前身のインマヌエル時代も含めて)にとって初めてのことでした。

教会墓地もなし、召天者も教会のサイズに比例して少なく、余り注意を払ってこなかったため、これが初めてと相成りました。

礼拝では6名の召天者について、教会の歴史と合わせながら思い出が語られました。
礼拝後の茶話会でも、色々と故人を偲ぶエピソードが語られました。



やってみて思うことは、以下に仏教と比較して「物故者(召天者) 」に対する宗教的儀礼が(プロテスタント、しかも当教会と言う例外的ケースだが)なさすぎるか、ということ。


キリスト者の葬儀の場合は、一種の「証し」とか「伝道」と言う角度からその内容を考えたりすることがあるが、それ以後はなかなか「アフターケアー」をさぼりがち。

そこ行くと(余り詳しく知らないが)仏教は「法事」がお寺の宗教的行事の中心的なもの(?)として営まれている。

これは教役者の見識にもよるのかもしれないが、筆者のような「クリスチャン家庭」に育った者には、召天後は最早「思いの中」にはいても、具体的な場所(墓所)や所作を通して「故人と思いを交わす」みたいなことはないので、自然とドライになりやすいように思う。

まっ、日本人の心性にとっては墓前報告みたいに「(故人に)話しかける」文化は大切なのだろうな。

そんなこんなを考える機会となりました。

0 件のコメント:

コメントを投稿