2014年3月28日金曜日

(3)MLJとJS、JSとBGのガチンコ

現在でも「福音主義の歴史」を語る時に忘れてならない人物がいる。

タイトルはその人物の頭文字であり、20世紀後半からの福音主義運動が世界的に拡がって行く役割を担った。

しかし大立者は時に指導権を競って厳しい対立もした。
ガチンコとはその3人の対立のことである。

先ずJSとは誰か。
既に故人となったジョン・ストット(1921-2011)である。


そして彼のガチンコ対決の相手は


マーチン・ロイドジョンズ(1899-1981)である。

次のようなエピソードが残っている。

1966年ロンドンでのとある会合で二人は教会論争で激しくぶつかった。
ロイドジョンズは神学的に雑多な人々が混じっている英国国教会を嫌い、福音派の人たちを引き連れて出よう、と言うようなことを主張した。

しかしそのすぐ後登壇したストットはその動きに抗議したのであった。
その抗議の仕方が表面ではロイドジョンズを称えるような言葉で実は彼を「貶した」のであった。

このようなキリスト者として少し疑問符がつくような手を使ってでも、ストットは福音主義運動がリベラルが混ざった英国国教会から分離して行くのを阻止したわけであった。

もう一つのガチンコの相手は誰であったか。
かの大伝道者ビリー・グラハムである。

グラハムがストットの協力を得て1974年に立ち上げたローザンヌ運動の方針を策定するべく、翌1975年、メキシコ市で5大陸から福音主義指導者たちを集めて会議が開かれた。

グラハムは「伝道(エバンジェリズム)」一本で推進しようとしたが、ストットはそれに反対した。
ストットは、ローザンヌ運動が「社会的行動」も含めたものとして進めるのでないなら、自分は辞める、と「圧力」をかけた。

声明発表文に「伝道」と「社会的行動」をどのように盛ったら良いか両者の間で息苦しい綱引きが続いた。
このような文章作成を大得意にしていたストットは主導権を取るため、散々書いては改め書いては改めの神経戦に持ち込んだ。
グラハムはくたびれはてて音を上げてしまい、伝道一本路線を別な形でやることとなった。


以上は、「ジョン・ストット」の学術的伝記を著した、アリスター・チャップマンをブロガーのトレヴィン・ワックスがインタヴューした記事からつまみ食いしただけのものである。


要するに権力を巡る対立において、ストットのような皆から尊敬されるようなキリスト者の指導者であっても、時に首を傾げるような策を使ってでも主導権を得ようとした、と言うことである。

「野心」の問題は、自分の光栄を求めるものなら空しいものだが、神の賜物を最高潮に用いて目的を遂げるのであれば・・・。

しかしその場合でも自己吟味の結果は苦い味も混じるものであることをストットは経験したようだ。

昨今のカルト牧師問題のようなパワハラ被害は権力の問題と言っても全く低レベルだが、福音の前進のために、と言う大義がかかった路線対立では、高度な倫理的問題となることを示唆している。

良心に照らして、権力や能力の行使に自覚的であればあるほど、成し遂げようとする過程においてそれは厳しい自己吟味を要求するものなのだろう。

イエスの荒野の誘惑ではないが、権力の行使における動機の複雑さに直面することは、霊的な自制・自省を高度に要求する、と言うことではないか。

そのような修羅場を潜らないと、本当の意味で「権力」の誘惑とはどのようなものかを知ることはないのかもしれない。


Godly Ambition: John Stott and the Evangelical Movement

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