2015年6月12日金曜日

(4)『教会史遡行』から落穂拾い、2

前回、落穂拾い、1、では「日本ホーリネス運動史」について幾つか拾いました。


今回は、その前史として選んだ「19世紀(中・後)リバイバリズム」を取り上げます。


目玉として選んだ人物は、Dwight L. Moody(1837-1899)、ドワイト・ムーディー(ウィキ)。


ムーディーに関して「余録」として残すとすれば、彼の「回心体験」の背景となる『日曜学校』についでしょうか。


ムーディーは17歳で回心したのですが、その下地を作ったのは『日曜学校』だったと思います。

彼は故郷を離れボストンで叔父さんのところで働かせてもらう条件となったのが、教会と教会学校に通うことだったんです。

そして彼を回心に導いたのは、日曜学校の教師であったエドワード・キンボールでした。

ムーディーが働いていた靴屋に出向き、店の前でしばらく躊躇の末入店し、カウンター越しに一言二言会話を交わした後、「決心("Will you not give your heart to Jesus?")」を迫ったんです。

ムーディーはこれに応答し「回心」しました。

とそう言う経緯です。


日曜学校は、英国に起源(1780年)を持ち、米国でも19世紀初頭から、各教派が勢力を伸ばす中で取り入れられていきました。(アメリカ日曜学校協会が設立されたのが1825年)
しかし、その始まりが「私設」であったように、「教会のプログラム」として組み入れられるまでは暫く時間がかかったようです。

当初の日曜学校は宗教的な方面では「カテキズム」が教えられたそうですが、しかし(ここからは殆ど詳細を言うのは難しいですが)19世紀に入ってリバイバリズム運動が強まっていく中で、日曜学校のカリキュラム自体も「聖書を教え、明確な宗教体験を植えつける」ものとして整備されていったようです。

と言うことで、ムーディーが日曜学校で学ぶようになった時には、教会学校を通して「回心体験」を得る流れは出来上がっていたことが推測されます。(そのあたりの経緯はこの記事が簡潔にまとめています。)


次に興味深いことは、ムーディーの「回心体験記」には出てきませんが、聖書を用いて「回心体験」に導くマニュアルのようなものが、この時にはもう出来上がっていたのではないか、ということです。

多くの人がご存知の『四つの法則』は20世紀版といえるか知れませんが、これから紹介する教会の伝統ではそれは『救いの計画』として、『救いまでの5段階』として開発され、代々受け継がれていたのだそうです。


下から順に「救いまでの5段階」が積み上げられています。



そして各段階には証明聖句というか、対応する聖書のことばが決まっていて、これが会堂の壁に貼り付けられているのだそうです。

少し、その例となる紹介記事を引用します。
It’s just a Church of Christ thing, right? The “Plan of Salvation,” also called the “Five Steps of Salvation,” is unique to us, I think. And those of us who were raised in and by the Churches of Christ know them well: Hear, Believe, Repent, Confess, Baptism. In that order. As a kid in the ’70s, this was drilled into me by my Sunday school teachers in Bible class, by the preachers from the pulpits, by the youth ministers at the devotionals and rallies, and by the Open Bible Study my dad walked me through when I reached the “age of accountability.” The five steps were plastered on bulletin boards in the church hallways, illustrated by charts and diagrams on mimeographed handouts, and splashed across banners promoting the next Gospel meeting. These were the five steps, always accompanied by supporting verses of Scripture, that necessarily had to be followed — again, in order! — for one to be saved.(Five Steps To Salvation、強調は筆者)
「キリストの教会」と言う教派ですね。日本ではそれほど多くないようです。

実は強調したところは意味があって、「この5ステップの順序に従って」信ずるならば回心が得られる(何と言うのか、これも信仰ですかね)という『原理』とともに普及したようなのです。

この記事を書いた方は、この「救いの計画」のような「原理に従って人間が応答すれば、体験が得られる(はずだ)、と言う理詰めなアプローチ」はアレクサンダー・キャンベル(1788-1866)らの「聖書復帰運動」に遡る、と見ています。

Historians point back to our movement’s focus on rational thought and enlightenment thinking that characterized the mainstream culture of America at the turn of the 19th century when Stone and Campbell and others were attempting to “restore” God’s Church. It was all about scientific reasoning and empirical evidence and deductive problem-solving. Society at this time was convinced that there were undeniable patterns, unalterable designs in nature and in the world that, if learned and applied, held the keys to everlasting peace and joy.
「救いの計画は」、スコット・マクナイト『福音の再発見』でお馴染みなのですが、改めてその影響の深さと、その理性主義的背景を思いました。

ところで、たまたま、「キリストの教会」の方が『福音の再発見』を読んで自派の『救いの計画』を振り返っているブログ記事が見つかりましたので紹介しておきます。
One of the reasons I wanted to review Scot's book is that I'd like, as might many of you, to use the label soterian from time to time to describe how many Christian think.

Again, the crux of Scot's argument is that the Plan of Salvation isn't the gospel. No doubt they are related. And Scot discusses their relationship in the book. But they aren't the same. The "Good News" isn't the Steps of Salvation. In my tradition these Steps were as follows: 1) Hear, 2) Believe, 3) Repent, 4) Confess, and 5) Be Baptized (for the remission of your sins). Your tradition might have a different list of Steps. Still, at Scot points out, these Steps aren't the gospel.


この辺のことは「教会史」と「世俗の歴史」と重なり合うことですので、ちゃんと調べてみないとならないですが、何かしら調べてみるべき分野やトピックを提示する端緒にはなったかな、と思います。


※もう一つついでですが、「キリストの教会」関係の教会史はなかなか部外者には難しい。やはりその派の人が整理してくれているものを読むのでないと分かりにくい面があります。

その点このめじろ台キリストの教会がまとめてくれた文章は助けになります。 

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