2016年3月13日日曜日

(4)あれから5年が経って

率直に言って、なぜ5年目だとこんなにメディアが取り上げるのだろう、と感じている。

もちろん東日本大震災のことである。

3年目、4年目と何か段々メディアが取り上げる量が減っていたように感じていたので、急に5年目でまた注目されるようになったように感じているのは筆者だけだろうか。

まあーそれはそれで置いておいて、本題に入る。

5年目の区切りとして何を書いておいたらいいか、東日本大震災からどんなレッスン・訓戒を5年目の時点としては覚えておくべきか、・・・と考えていた。

そんな時見た動画がこれだ。

『吉田調書の意味するもの』~2014年10月18日講演会の補足説明~


5年前、福島第一関連でしばしばお世話になったのが、小出裕章助教(昨年退職)とこの後藤政志さんだ。

(炉心溶融に関して)正確な情報が足りなかった事故直後からのしばらくの間、「苛酷事故」というそれまで聞いたことのなかった言葉を使って炉心格納容器の安全性や破綻のシナリオをいろいろ推理して説明してくれたことを覚えている。

この動画は一昨年のものだが、事故当時のことを(久し振りで)思い出しながら、見させていただいた。

発表された「吉田調書」とつき合わせながら、苛酷事故の核心は何かを熱心に究明している。一聴の価値ありと思う。

格納容器設計に携わったエンジニアとしての専門的な観点からの意見だが、やはり核心を突いていると思う。

中心となるのは「東日本壊滅のシナリオは現実的にあった。そうならなかったのは偶然。」(22分過ぎ辺り)という認識だ。

そのような性格の(スケールの)苛酷事故でありながら、
 (1)幾つもの設計ミスがあった。(今回のような苛酷事故に対する対応が取れていなかった。)
 (2)事故後の対応に関し、所員・作業員の勇気や犠牲的精神等の「美談で済まされるような話ではない。」
 (3)電源、(1万人規模の)人員確保、等事故対策に関するロジスティックスができていなかった。(第二次大戦のときの日本軍の失敗と同じ。)

といったところがポイントとして挙げられている。

要するに炉心溶融事故が起こった格納容器は「ワースト・シナリオ・ケース」の想定では設計されておらず、今回の苛酷事故を教訓にする場合、それらの設計上の弱点をどのようにするかの算段をしっかり建てていなければならないが・・・果たして日本の他の原発はどうなっているのか。という問題だ。

原発の安全対策は基本的に「人的介入を要しない設計」を二重三重にして安全確保するのが大事であり、万が一のとき「決死隊を組織して防ぐ」ような対策は間違っている。

そして最後に、今回のような苛酷事故で、コントロールを失いプラント破壊、東日本壊滅に繋がりかねなかった事態が「偶然に左右されるようなシステム」を果たして存続させるべきだろうか、それは許せるだろうか、と疑問を提出している。

やはり肝心なポイントは「東日本壊滅に繋がりかねなかった事態」という点だろう。


後藤さんの分析は格納容器の設計に関わることでの指摘であったと思うが、つい二三日前のNEWS23(TBS)であったか、NHKの番組であったかが指摘していたように、吉田所長、菅総理が「東日本壊滅のワースト・シナリオ」を現実のものと認識し、「決死の防御」を巡ってやりとりがあったということ。

そしてその番組で指摘されていたが、複数プラントの炉心溶融に時差があったため、一つ一つ個別に対応する余裕が与えられたが、それは全く偶然のなせるわざで、仮にもし三つのプラントの炉心溶融がほぼ同時に起こっていたら対応は出来なかっただろう、ということ。


以上、5年目にしての東日本大震災から最も深刻な教訓を得るとすると、そのひとつは間違いなく実際の事故の結果ではなく、偶然に免れたが、ワースト・シナリオの場合「東日本壊滅の事態に至った」であろう、ということ。
 
このワースト・シナリオで推定されえた結果を更に吟味し、どれだけ真剣に可能現実として今後に活かすか、ではないだろうか。
 

※この朝日報道による、元米兵士が証言した「核爆発は免れたものの危機一髪だった」事象とも重なる。

 
事後的にだが、このような形で認識する「あの時もし・・・だったら、○○は壊滅的打撃を受けていたかもしれなかった」は、原発事故でも水素爆弾処理でも、そのスケールに見合った検証と対応を必要とするだろう。

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