2016年12月3日土曜日

今日のツイート 2016/12/3

今年の流行語大賞にノミネートされてたことでまた話題になっている。



 (社会学者)古市氏のツイートは「死ね」という過激なコトバを誰がどの文脈で使うかによっては「擁護」できる、という趣旨のようだ(と筆者は理解したが)。

 これに対して殆どの反論ツイートは「死ね」というコトバの「比喩」使用の無制限濫用の危険性、のような反応の仕方になっている。(「死ね」を比喩的に使うならば許されるのなら、ヘイトスピーチのような形で拡大してしまう・・・みたいな。)

 津田氏のツイートは「本来政治の文脈での現状への不満、改善申し立て」に集約される方向で「意見(ツイート)百出」が表現されれば・・・という意見のようである。

 筆者もどちらかと言えばそのような「正論」的議論に収まった方がよろしいと思うが、「民主政治が様々な不満を回収して政策に反映する」ことがなかなか出来ない(却って政治不信・諦めが進行する)現状では、この「個別の過激表現」を「流行語」祭りで「通路として」様々な人がそれぞれの「一過的怒りを爆発させる」現象(↓)自体を観察する必要があるのかな・・・という印象である。

 「じこぼう」さんのツイートはそのような(メディアによるガス抜き?)現象を「(後期資本主義社会)における消費」の視点で批判的に見るよう示唆している感じだ。

 インターネット・メディアが「政治と世論操作」の問題にどう関わっているか・・・はまだそれほど表立って問題になっていない印象だが・・・。


※少し蛇足かもしれないが、これも今朝のツイートなので追加しておこう。


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