2017年8月13日日曜日

(4)キリスト教原理主義と福音主義

先日、「(3)藤本満『聖書信仰』ノート、10」を書いたばかりだが、その前の「(3)藤本満『聖書信仰』ノート、8」と「(3)藤本満『聖書信仰』ノート、9」で「ファンダメンタリズム」を扱ってから、あらためてジョージ・マースデンの『Fundamentalism and American Culture』を読み直している。それも結構ゆっくりと。

今回書くことは「『聖書信仰』ノート」に入れても良かったが、風呂敷を広げすぎて(筆者も読者も)混乱するといけないので、独立させた。(なお「アメリカ宗教史」研究、関連の展開は「宗教と社会小ロキアム@巣鴨」プログにて取り上げようと思っている。)

昨年から今年と、トランプ大統領がもたらした旋風は米国福音派だけでなく、日本の福音派にとっても「パブリック・イメージ」の問題だけをとっても結構大きな意義があるように思う。

※たまたま今朝ツイートしたこの記事は的確にその辺の事情を捉えていると思う。


「ファンダメンタリズム」や「福音主義」のような基本的用語の整理ももっとしていく必要があるだろうなー、などと思っていたら意外なことに「日本の福音派のアイデンティティー」に関し長らく研究発表してきた宇田進氏の文章が「いのちのことば社」のウェブサイトにあるのを見つけた。

ここにリンクを貼っておこう。

「原理主義」と「福音主義」 第1回 ファンダメンタリズムの原点は?(前半)

「原理主義」と「福音主義」 第3回 エバンジェリカルをめぐって─アメリカ教会と日本教会(前編)

「原理主義」と「福音主義」 第3回 エバンジェリカルをめぐって─アメリカ教会と日本教会(後編)


冒頭
   このたび、4回にわたり特に「キリスト教原理主義」について拙文をつづることになったが、正直言って≪戸惑い≫を覚えている。
とあるのだが、「第2回」というのが見つかっていない。

一読して(この文章が書かれたのが割合最近だとすると)次の部分がやはり気にかかる。
 ブッシュ政権の“在り方”については大いに論ずべきであるが、ことファンダメンタリズム・福音派に関する著者の見方は、従来から日本のメイン・ラインの教会の中に広く流通してきたものの反復にほかならない。結局、忌避・拒絶 以外の何物でもない。
 以上のようないわば“定説”とも言えるネガティブな見解とは対照的な“稀なる見解”が最近登場している。それは、一定の理解と評価をともなった古屋安雄氏(聖学院大学)の見解である。
 古屋氏は前掲書の中で、一章を「日本の福音派」にあてている。種々問題を論じながらも福音派の成長に注目し、「日本においても福音派に期待するのである。日本基督教団をはじめとするいわゆる主流派の諸教会がいつまでも混迷と混乱のなかにあるならば、福音派の諸教会がそれこそ〈主流〉となる日がやってくるかもしれない」と“オープンで前向きな見解” を披瀝している。
 かつてウィリアム・ホーダーンは、エバンジェリカルはリベラルなものを一生懸命学ぼうとするが、その逆はほとんどみられないと指摘したことがある! また、プリンストン大学の社会学者ロバート・ウスナウは「リベラル派と福音派の両者とも、互いに相手の最も悪い面ばかりを前面に押し出し、それぞれの“よい部分”をまったく見ようとしない」とも批判している(『アメリカの魂のための闘い─福音派・リベラル派・世俗主義』(1989)。日本のキリスト教界はまさにその典型である!(強調は筆者)
過去に(もちろん今でも尾を引いているが)対立した自由主義、根本主義/福音主義両陣営がそれぞれに対する見方をすり合わせながら共に学ぶような機会がまだまだ少ないのだと思う。


以上、不要で不幸な混乱に巻き込まれないためにもなるべく正確な歴史知識を積み上げて行きたい。

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